『ローズマリーの赤ちゃん』のキャスティング
1968年に公開された『ローズマリーの赤ちゃん』は、ロマン・ポランスキーのアメリカ進出第1作として、またホラー映画の枠を超えて芸術的な評価を得た作品でもあります。この成功の中心には、ミア・ファローの存在がありました。
もともとスタジオ側は、ローズマリーという役にある程度のスター性を持った女優を望んでいました。候補にはナタリー・ウッドやジェーン・フォンダなどの名が挙がっていましたが、どれも決定には至りませんでした。原作者アイラ・レヴィンは、「ごく普通の隣人のような女性」にローズマリーを演じてほしいと望んでいたものの、スタジオの思惑とはやや食い違っていたのです。
そのなかで、プロデューサーのロバート・エヴァンスが推したのがミア・ファローでした。当時、彼女は人気テレビドラマ『ペイトン・プレイス物語』で一躍注目を集めており、アメリカの若者にとって「時代の顔」とも言える存在でした。ポランスキーは最初、まだ無名だったシャロン・テートをローズマリー役に推薦しようと考えていましたが、パラマウント側はこれを認めず、ミア・ファローが起用されることになります。
ミアはこの作品の撮影中、私生活でも大きな転機を迎えていました。彼女は当時、年齢差のある夫であるフランク・シナトラと結婚していましたが、撮影にのめり込む彼女の姿勢をシナトラは快く思っていなかったと言われています。そして撮影の途中、彼は彼女に「映画を降りるか、私と別れるか」を迫りました。ミアは悩みながらも作品を選び、ついに現場に離婚届が送られてきます。この離婚劇は、ハリウッドでも伝説的な逸話として語られています。
映画の中で、ローズマリーが髪を切るシーンがあります。実際にミアは、当時のカリスマ美容師ヴィダル・サスーンによって髪をばっさりと短くカットしました。この新しい髪型は、その後ファッション界にも大きな影響を与え、「ローズマリー・カット」と呼ばれるほどになりました。彼女のか細く繊細な外見と、精神的に追い詰められていく演技は見事に融合し、観客に強烈な印象を残しました。
撮影中、ミアは極端なダイエットをして、妊娠による身体の変化をよりリアルに見せようと努力しました。ポランスキーは彼女の演技に全幅の信頼を置いており、セリフだけでなく、視線や呼吸、沈黙の間にまで細やかな演出を施しました。ローズマリーの不安と孤立感は、ミア自身の現場での心境とも重なっていたのかもしれません。
一方で、もしポランスキーが希望していたようにシャロン・テートが主演していたなら、映画の雰囲気はまったく異なっていたと言われています。テートの美しさと華やかさは、あの物語に「現実味のある恐怖」をもたらすには少し強すぎたかもしれません。ミア・ファローの華奢で透明感のある存在があったからこそ、あの異様な妊娠の物語が説得力をもって胸に迫ったのです。
ローズマリー役をめぐるキャスティングの経緯は、ただの配役の話にとどまらず、1960年代末のアメリカ映画界が抱えていたスターシステム、女性の生き方、そして監督と俳優の相互作用を象徴する物語でもあります。あのとき、ミア・ファローが役を断っていたら、映画史は少し違う姿になっていたことでしょう。