『ローズマリーの赤ちゃん』の制作秘話 その1
1967年、アメリカではオカルトやカルト宗教への関心が静かに高まりつつあり、それを的確にすくい取った小説が、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』だった。マンハッタンの高級アパートに引っ越してきた若い夫婦が、隣人たちの優しさに包まれながら、徐々に何かおかしいと気づき始める。恐怖がいっさい叫び声ではなく、親切の中に忍び込んでくる構成は、多くの読者を震え上がらせた。
原作に惚れ込んだのが、ウィリアム・キャッスルだった。観客にゴム人形や電流などの仕掛けを使って恐怖を“体験”させる、派手な興行手法で知られた男である。だが、ローズマリーにはそれとはまるで違うトーンが必要だった。キャッスルもそれは理解していた。だからこそ、彼はこの作品を「自分の名を変える一本」にしようとしていた。だがスタジオ、つまりパラマウントの若き副社長ロバート・エヴァンスは、別の判断を下す。
エヴァンスは、キャッスルをプロデューサーに据えたまま、監督には外部から芸術肌の人物を呼ぶことを提案した。新しい顔、しかも、まだハリウッドに染まっていない男。エヴァンスの目に留まったのが、ロマン・ポランスキーだった。ポーランド出身、フランスで『反撥』を撮ったばかりの30代前半の監督。都会の閉塞感、孤独、精神の崩壊といった題材に卓越した感覚を持っていた。
脚本の執筆を打診されたポランスキーは、当初この原作にあまり乗り気ではなかった。彼はSFや冒険ものを好んで読んでいたからだ。しかし読んでみると、1日で引き込まれた。しかも彼は、原作に手を加えずにそのまま映画にしたいと申し出る。結果、映画『ローズマリーの赤ちゃん』の脚本は、驚くほど原作に忠実な内容となった。これは当時としては非常に珍しいことで、映画化にあたっては脚色が加わるのが常だった。
ポランスキーは、登場人物の動き、部屋のインテリア、セリフ回し、風景にいたるまで、「観客にとって本物に見えること」に心を砕いた。恐怖は、超自然現象や血しぶきではなく、日常の違和感の中からにじみ出るべきだと考えていた。それこそが、ローズマリーの妊娠をめぐる疑惑──夫への不信、隣人の過剰な親切、そして病院の冷たさ──を、ただの悪夢ではなく、観客のすぐ隣にある現実のように感じさせた理由である。
キャッスルは、監督ではなくなったことに不満を抱えながらも、制作中はポランスキーを全面的に支えた。ホラーというジャンルを越えた作品にするという目標は、両者の間で確かに共有されていた。皮肉なことに、キャッスルがこれまで育ててきた「観客を怖がらせる技法」は、一切使われないまま、ポランスキーは新しい恐怖の語り口を確立したのだった。