ロバート・エヴァンスがパラマウントに呼ばれたのは、才能を見込まれてというより、むしろ「責任を取らせるため」だった。
ロバート・エヴァンスがパラマウントに呼ばれたのは、才能を見込まれてというより、むしろ「責任を取らせるため」だった。
1966年、老舗の映画会社パラマウントは、何年もヒット作が出せず、スタジオの中でも最下位。映画業界全体がテレビの台頭で苦しんでいたが、パラマウントはとくに深刻だった。そんな中、雑多な企業を抱えるコングロマリット「ガルフ+ウエスタン」がこの映画会社を買い取る。
新しいオーナーは、スタジオを立て直すために誰かを製作部門の責任者に据えたかった。でも、誰もやりたがらなかった。なぜなら、状況が悪すぎたから。誰がやっても失敗する。なら、誰を選んでも同じだろう。そう考えた末に選ばれたのが、若くて目立つ男、ロバート・エヴァンスだった。
彼は元俳優。映画の現場は知っていたが、プロデューサーとしての経験はほとんどない。ただ、エネルギーと野心だけはあった。そして、もし失敗しても、「あいつに任せたのが間違いだった」と言えば済む。そんな“責任の所在”として、ちょうどよかったのだ。
でも、エヴァンスはそれを承知の上で引き受けた。自分が使い捨ての駒だということもわかっていた。それでも彼は、「どうせなら好きにやらせてもらう」と開き直った。無名の監督にチャンスを与え、誰も手を出さなかった企画に手をつけた。最初に動かしたのが『ローズマリーの赤ちゃん』だった。
この映画が成功することで、エヴァンスはただの“スケープゴート”から、本物のヒットメーカーに変わっていく。
彼がプロデューサーになった1年目は、そんなふうに始まった。期待されていなかった男が、会社の命運を変えていく。その最初の一歩が、1967年だった。