人はワッコを引き抜いたという その2 サンズリバーサイド外伝
人はワッコを引き抜いたという その2 サンズリバーサイド外伝
荒川区で初めてその人の背中だけを見た。
「背後からだけで只者じゃないって、そういう人、たまにいるよね」
主催者の川原さんにそう言って、名前を聞き、すぐに動画を開いた。映っていたのは、背の高い女性だった。
小柄どころか、ひと目でわかる長身。けれど、それ以上に目を引いたのは、動きだった。ステージの上をあっちへ、こっちへ。じっとしていない。全身で音楽を浴びながら、観客と空気をつかみに行くような、その姿。
「日大芸術学部卒業」とプロフィールにあった。それだけで、「この人は違う」と思った。
会いに行くことにした。越谷駅は初めてだった。電車を降りてから、地図を見ながら、てくてくと歩いてコンサート会場へ向かった。
彼女が所属するのは「タンクポップ」という男女のバンド。地元ではすでに人気があるようだった。会場は温かい空気に包まれていて、彼女の歌声と笑い声、観客の拍手が心地よく混ざっていた。
けれど、東京に来てくれるだろうか? 舞台の経験はなさそうだった。
そんな不安を、彼女のひと言が吹き飛ばした。
「夢は東京の武道館でのコンサートです」
その瞬間、胸の奥で何かが動いた。「それなら、まずは東京の舞台に立ってみて」と思った。芝居の経験なんて、いくらでもこれから積めばいい。彼女ならきっとやれる。
もうひとつ、忘れられない言葉がある。
ギャラの話になって、少し遠慮がちにこちらが口を開いたとき、彼女は笑って言った。
「ギャラなんて気にしないわ」
しびれた。そういう人に、私は弱い。
きっと、武道館に行ける。タンクポップは、もっともっと広く知られていく。
そう信じて、私は彼女を応援することにした。