記憶喪失者が宿泊しながら記憶を取りもどしてゆく〜サンズリバーサイド外伝
「記憶喪失者が宿泊しながら記憶を取りもどしてゆく」
サスペンススリラーでよく使われる設定で数多くの作品がある。
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午後の日差しが斜めに差し込む教室で、サキはホワイトボードの前に立っていた。十数人の生徒がメモを取る準備を整え、彼女の言葉を待っている。
「今日は『ホテル×記憶喪失』という、スリラーやサスペンスで定番の設定について話しましょう」
サキは静かにマーカーを取り、ボードに「閉鎖空間」「記憶喪失」「真相の露呈」と三つの語を書き出した。
「この組み合わせは、とても古くて、でもいまだに強力です。なぜかというと——閉じた場所にいる“正体のわからない人間”は、それだけで観客の想像力を刺激するからです」
若い男性が手を挙げる。「“ホテル”である必要はありますか?」
「いい質問ね」サキは軽く笑って、うなずいた。「“ホテル”というのは、見知らぬ誰かが一時的に滞在する場所。
つまり、“素性が分からない”ことが自然に成立するんです。
しかも部屋は番号で管理され、隣に誰がいるか分からない。非常に便利な舞台装置です」
別の生徒が口を挟んだ。
「記憶喪失って、安易に使うと陳腐になりますよね」
「その通り。だからこそ“どう真相が明かされるか”が勝負です」
サキは、マーカーで「真相の露呈」に丸をつけた。
「たとえば、主人公自身が加害者だった、あるいはすでに死んでいた、というような“真相”が出てきたとき、観客はそれまで見てきた物語を逆再生のように思い返します。
だから、終わったあとに“もう一度見返したくなる”構造にしておくと強い」
教室の空気が少し引き締まる。誰もが自分のプロットにその仕掛けを持ち込めないか、考え始めていた。
サキは、時計を見て軽く手を叩いた。「じゃあ今日はここまで。来週は“情報の出し方”について話しましょう。伏線とその回収、
それから“観客の誤解”の操作です」
講義が終わっても、生徒たちはノートを見返しながら席を立った。どこかで「じゃあ、俺の主人公もホテルに泊まらせてみるか」という声が聞こえた。
サキは小さく笑い、マーカーのキャップをはめた。