サンズリバーサイド外伝 その2
サキは静かな部屋で、デスクに向かっていた。パソコンの画面には、開いたばかりの文書ファイル。新しい映画の原案だった。
だが、それは単なる企画ではない。母にまつわる、最も個人的な物語。その第一章に、彼女はようやく手をつけようとしていた。
カーソルが点滅する中、ふと、ひとつのアイデアが浮かんだ。お蔵入りになった、あの“ゴースト”の話だ。映画化したかったが、頓挫してしまった作品。今も胸の奥で、未練のようにくすぶっている。
あれは、揉めに揉めた企画だった。まずは映画化の前に舞台化され、その舞台の初日、原作者とプロデューサーが原作料をめぐって激しく対立した。テンプル劇場のロビーで始まった口論は、そのまま劇場内にまで飛び火し、観客の目の前でみっともない言い争いを繰り広げた。
サキも脚本家として巻き込まれた。原作者とは何度も衝突しながらも、ようやく脚本がまとまり、舞台は大成功に終わった。だが、その成功にもかかわらず、映画化の話はいつの間にか立ち消えになっていた。
「原作者」とはいっても、実のところ彼が出したのは最初の「種」だけだった。ストーリーの肉付けは、サキを含む複数の脚本家によって成された。にもかかわらず、彼とプロデューサーのどちらも、「自分が生みの親だ」と言い張る。
どちらも、『SAKIMORI』に登場する武藤のような人物だった。関係者の誰もが、彼らの名前を口にする時は、決まって「あの野郎……」と、舌打ちまじりに言葉を漏らす。まるで、詐欺にでも遭ったかのような口ぶりで。
あの原案の“種”が芽吹いたのは、福岡県大牟田市でのことだった。サキが何度も足を運び、ジプシー・ローズの取材をしていた頃のことだ。
大牟田——九州の“へそ”と呼ばれた街。位置的にも中心にあり、“へそ”すなわち「ネイブル」の名を冠したテーマパーク「ネイブルランド」がかつて存在した。
まるで夢のような構想だった。だが開園からわずか四年で閉園。莫大な負債だけが市に残され、かつて炭鉱で栄えた町は、借金返済の重みによって、ただ沈んでいくのを見つめるしかなかった。
サキは画面に戻る。彼女の中で、新しい物語が静かに、確かに、動き始めていた。