プロデューサーは稽古は見にゆかない
プロデューサーは稽古は見にゆかない
「……あの人、また来なかったですね」
稽古終わりのスタジオ。汗まみれの若い役者が、冷めたコーヒーを啜りながらつぶやいた。
演出家の桐生は、黙って台本を閉じた。
「来ないさ。あの人は、見に来ないんだよ。いつもそうだ」
「何でですか? プロデューサーなのに、俺たちの芝居、見たくないんですかね」
桐生は一度だけ小さく笑った。まるで、遠い昔の記憶に触れたような。
「見たいさ。でも来ない。……それがあの人のやり方なんだよ」
若者は眉をひそめる。「意味、分かんないっすね」
「何も言わずに稽古場に来て、ニコニコしてる人の方がよほど怖い。芝居を育ててるつもりで、実は潰してることもある」
桐生の声は静かだった。
「口を出さないことで、俺たちに任せてくれてるんだ。結果だけで判断する覚悟が、あの人にはある」
窓の外はもう暗かった。スタジオの灯りが、誰もいない客席に長い影を落としている。
「……一度だけ、来たことがあった」
「え?」
「十年前。旗揚げ公演の前夜。終電がなくなるまで、誰にも気づかれずに後ろの柱に立ってた。誰にも声をかけず、拍手もせず、ただ見てたよ」
「それ、わかってたんですか?」
「終わった後、机の上にチョコレートだけ置いてあった。メモも何もなしでね」
若者は黙った。何かをのみ込むように、黙ってうなずいた。
「プロデューサーは稽古は見にゆかない。……でも、見てないとは限らない」