親子のオフサイトミーティング
親子のオフサイトミーティング
親が元気なうちに、資産額をはじめとする情報や、どんな最期を迎えたいかなどの意志を共有しておきましょう。
『箱根会議』
「ねえ、そろそろ話しておかないとまずいんじゃない?」
東京のマンションで、長女の由香がそう切り出したのは、父・徹が入院して退院した直後のことだった。退院とはいえ、元どおりの生活に戻れるというわけではない。リハビリ、通院、そして将来への不安。
「わかってる。でも、あの人、そういう話すると不機嫌になるんだよ……」
母の美智子は視線を落としながら言った。昔から、徹は“死”や“金”に関する話を避ける人だった。長男の洋介も、つい最近まで仕事が忙しすぎて実家には顔を出せていなかった。
「でも、何もしないで時間が経つのが一番まずいのよ。介護保険サービスも、地域によってかなり差があるみたいだし」
由香はタブレットを開いて、父が住む町のヘルパーステーションや訪問看護の施設数を調べていた。正直、少なかった。財源が潤っている都市部とは違う。万が一、このまま父が倒れたら、誰がどこまで対応できるのか。
「じゃあ、旅行でもするか」
その提案をしたのは意外にも洋介だった。
「旅行?」
「“オフサイトミーティング”って知ってる? 会社でよくやるんだけど、普段と違う場所に行くと、本音が出やすい。箱根とか、温泉でも行ってさ。うまいもん食って、風呂入って、夜は……話そうよ。これからのこと」
「……ホワイトボード、借りられるかな?」
由香が笑った。旅館にホワイトボードなんて、おかしいけど……きっと、それくらいしないと踏み込めない。
そして一か月後、家族四人は箱根の老舗旅館にいた。チェックインを済ませると、母が思わず吹き出す。
「ほんとにホワイトボード、借りてきたの?」
「貸してくれた。『社長さんですか?』って聞かれたけど」
洋介が照れ笑いを浮かべながら、板書マーカーを取り出した。
夕食後、布団を敷く前の静かな時間。ホワイトボードには「これからのこと」と書かれていた。
「俺の資産なんて大したことないが……」
そう言いながら、父が話し始めた。
「……でも、お前らには迷惑かけたくない。どう終わりたいか、そろそろ考えないとなって、思ってたんだ。入院してみて、よくわかった」
由香はゆっくり頷いた。
「グループLINE、作ろう。毎日じゃなくていい。既読だけでもいいから。私たち、繋がっていたいの。父さんが、いまどこにいて、元気かどうか、わかるように」
ふと、父の目が潤んでいた。誰よりも強くあろうとした人が、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた瞬間だった。
“最期”を語ることは、“今”を大事にすること。
旅先という非日常の空間が、家族の未来を照らしていた。