御巣鷹山回避の阪神タイガース サンズリバーサイド外伝
ケイコは、調査した「阪神タイガースと日本航空123便事故」にまつわる逸話をサキに語った。
「ご承知のように、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故は、日本の航空史上最大の悲劇でした。この事故では、乗員乗客524人中520人が犠牲となり、単独機による航空事故としては世界最悪の死者数を記録しました。
この大事故には、阪神タイガースにまつわる『運命の一日』の話があるんです。
1985年8月11日、阪神タイガースは福岡市の平和台球場で南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)と試合を行い、その後、福岡から東京へ戻ることになっていました。このとき、選手団が利用したのが日本航空のJAL366便(福岡発・羽田行き)で、午後の便として無事に羽田空港に到着しています。
ところがその翌日、同じ福岡発・羽田行きのJAL123便が、午後6時過ぎに離陸。離陸から約12分後、群馬県・御巣鷹山付近で墜落しました。事故の原因は、かつての尻もち事故で損傷した後部圧力隔壁の修理ミスとされており、飛行中に垂直尾翼が破損、油圧系統をすべて失ったことで操縦不能に陥ったとされます。
この事故を受けて、「もし阪神タイガースの移動日が1日ずれていたら、選手たちがその事故機に乗っていたかもしれない」という話が浮上しました。
しかも、この年の阪神タイガースは21年ぶりのセ・リーグ優勝を目指して快進撃を続けており、後に『バース、掛布、岡田』のクリーンナップが活躍した1985年の日本一(日本シリーズ制覇)へとつながる重要なシーズンでした。
この“紙一重の運命”とも言える逸話は、選手や関係者だけでなく、多くのプロ野球ファンの間でも語り継がれています。1985年の栄光の陰に秘められた、もうひとつの記憶として、今なお深く心に残されています。」
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