長谷川一夫とロマンス座が熊本へ
熊本城下
ロマンス座の一行が熊本に着いたのは、昭和二十四年五月下旬。初夏の陽気が肌にまとわりつく頃だった。
熊本駅の改札を抜けると、すでに群衆が詰めかけていた。子供を肩車する父親、浴衣姿の老婦人、学生服を着た少年たち――彼らの顔に共通していたのは、久しぶりに「本物」を見ることへの期待だった。
「来てくれてありがとう。長谷川先生が熊本に来るなんて、夢みたいですばい!」
地元新聞の記者が、開口一番にそう口走った。長谷川はにこやかにうなずきながら、肩に担いだ風呂敷包みを少し持ち直した。衣装と小道具はすべて自分で運ぶ。それが旅役者の矜持だった。
熊本公演の会場は、昔ながらの芝居小屋「水前寺座」。太平洋戦争中に一度閉鎖されたが、地元の熱意で再建され、仮設ながらも再び幕を上げることになった。
楽屋の畳には、ところどころ虫食いの跡が残っていた。障子も破れている。それでも、長谷川は座布団一つを敷き、足を崩さず座った。
「こういうところが、いちばん芝居が生きる」
舞台稽古では、声が天井に抜けすぎる問題があった。音響設備は皆無に等しく、共演者の台詞が聞き取りづらい。長谷川は何度も立ち位置を変え、自らの台詞のトーンを調整していった。
「音を張り上げるな。呼吸で伝えるんだ。心が震えれば、客席の隅まで届く」
その夜の演目は『高田馬場』。名優が見せるリアルな殺陣に、観客のどよめきが走った。血糊の代わりに紅を使い、刃が交わるたびに、客席のどこかで小さく息を呑む音が聞こえた。
終演後、年配の男性が差し入れを持って楽屋を訪れた。戦前、東京で長谷川の芝居を観たという古老だった。
「先生の芝居は、心の薬になりますばい。戦争で何もかもなくなったけん、なおさらです」
長谷川はその言葉を黙って受け取り、深く頭を下げた。座員たちが風呂敷包みを解き、小さな宴が始まる中、彼は一人、舞台に立ったまま動かなかった。
照明の落ちた闇のなかに、芝居小屋の埃がほのかに舞っていた。
「まだ足りない。もっと、もっと深く届けないと……」
それは自分への叱咤だった。地方には、戦後の復興の中で取り残された人々がいる。その人たちのためにこそ、芝居を続ける意味があると、長谷川は強く感じていた。
翌朝、ロマンス座一行は次の公演地・大分へと旅立った。
熊本の空に、うっすらと朝霧が立ちこめていた。だが、その霧の向こうには、はっきりとした希望の光が見えていた。
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