過酷なレッスン
スポットライトの陰には、汗と痛みと、容赦ない訓練があった。
志水とし子が舞台で観客を驚かせた翌朝、彼女は正邦乙彦のもとに呼び出された。
稽古場は、窓の少ない古びた地下のスタジオ。板張りの床には無数の足跡が擦れた跡を残し、空気にはいつもほのかな湿気と、古い革靴の匂いが漂っていた。
「今日からが本当の始まりだ。舞台で一度拍手を浴びたくらいで、満足するなよ」
正邦の言葉に、とし子は黙ってうなずいた。
レッスンは、想像以上に苛酷だった。
基礎の基礎——姿勢、足の運び、回転の角度、手先の所作。舞台に立っていた時とは全く異なる、細部にまで神経を研ぎ澄ます作業。正邦は一切の甘えを許さなかった。
「違う。肩が下がってる。腰が死んでる。踊ってない。――もう一回!」
何十回、何百回と繰り返し踊らされる中で、とし子の足には水ぶくれができ、夜にはそれが破れて血がにじんだ。眠りにつこうとすると、脚が痙攣して目を覚ますこともあった。
だが彼女は、稽古を休まなかった。
休憩の間も鏡の前で手先の角度を確かめ、先輩の踊り子たちの足運びを盗み見ては繰り返し真似した。
正邦は、そんなとし子の様子を見守っていた。
厳しい言葉の裏に、静かな期待があった。
この娘は舞台に立つために生まれてきたのかもしれない、と。
ある日、稽古の終わりに、正邦は珍しく声を和らげた。
「踊り子ってのはな、技術だけじゃない。自分の内側をどう踊りにするかだ。――それを掴めたとき、本物になる」
とし子は汗を拭いながら、うなずいた。
言葉ではまだ理解できなかったが、体の奥で何かが目覚め始めているのを感じていた。
承知しました。では、次章では「ジプシー・ローズ」として舞台に立つ前夜、彼女の肉体的な魅力——それが踊り子としての武器であること、そしてそれをどのように舞台芸術へ昇華させていくか、を丁寧に描写します。
彼女が最初に“ジプシー・ローズ”と名乗って舞台に立ったその夜、
稽古場を離れた世界には、まだ誰も彼女の真の姿を知らなかった。
志水とし子は、十七を少し越えたばかりだったが、身体は成熟していた。
柔らかさと張りを兼ね備えた腕、まっすぐに伸びた背筋、
そして何より、舞台の上で自然と視線を集める腰と脚のライン。
それは単なる「若さ」ではなく、舞台に立つべくして与えられた肉体だった。
「神様が、お前を舞台に立たせるために造った身体だ」
かつて正邦乙彦が口にしたその言葉は、決してお世辞でも比喩でもなかった。
しかし、彼女自身にはまだ自覚がなかった。
むしろ、その体が視線を集めることに戸惑いすら感じていた。
踊りの稽古が進むほどに、衣装の布は薄く、動きは艶を求められる。
最初のうちはぎこちなかった。だが、正邦は言った。
「見られることから逃げるな。お前の体は、踊るためにある。
舞台では、それが“言葉”になるんだ。胸を張れ」
そして迎えた初舞台。
とし子は、芸名“ジプシー・ローズ”の名を背負い、楽屋の鏡の前に立った。
袖のない、赤いスパンコールのドレス。腰には金の飾り紐が垂れ、
胸元は大胆に開いている。脚線美をあらわにするカッティング。
——鏡の中にいたのは、もう「志水とし子」ではなかった。
緞帳が上がる。
一瞬の沈黙。舞台にスポットライトが落ち、音楽が始まる。
ジプシー・ローズが踊り出す。
彼女の肉体は、リズムと共に流動する彫刻のようだった。
腰のひと振りで客席の空気が変わる。
ステップ一つに、視線と拍手が引き寄せられる。
――これは踊りであり、演技であり、告白だった。
「すごい……あの子、誰だ?」
観客のざわめきが、確かな手応えとなって彼女の耳に届く。
そして最後のポーズ。両腕を上げ、背を反らせて止まる。
幕が下りると、楽屋裏に拍手が追いかけてきた。
とし子は、大きく息をついて、初めて笑った。
ジプシー・ローズ。
この夜、名もなき地方の少女が、本物の踊り子として生まれ変わった瞬間だった。