役者から踊り子へ
戦後の東京は混乱のただ中にあり、演劇界もまた激しい変動期を迎えていた。
映画産業が急速に発展し、舞台は次第にその影に押されていく。
大衆の娯楽は映画館へ流れ、多くの劇団が経済的に苦境に立たされた。
そんな時代の波の中で、彼女のステージも決して順風満帆ではなかった。
それでも、彼女は情熱を絶やさず踊り、芝居に打ち込んだ。
かつて端役でくすぶっていた時代の苦労が、彼女の演技に深みと説得力を与えていた。
客席からの拍手は決して大きくはなかったが、その一つ一つが確かな絆となって心に刻まれた。
新たな役を掴み取り、つかの間の光を浴びる日々。
だが同時に、次の試練も待っていた。
芸能界の競争は激しく、政治的圧力も絡み、多くの俳優が去っていった。
1951年の初春、東京・有楽町の稽古場。
ロマンス座の公演準備が進む中、振付師の正邦乙彦は静かにその部屋の扉をノックした。
「失礼いたします、正邦です」
長谷川一夫は机の書類から目を上げ、軽く頷いた。
「なんだ、珍しいな。話があるのか」
正邦はひと呼吸おいて、率直に切り出した。
「志水とし子という若い娘のことです。舞台に出ていますが、あれは女優ではありません。私は彼女を、踊り子として育てたいのです」
長谷川は眉をわずかに動かした。
「踊り子として?」
「はい。あの娘には、誰にも真似できない節回しがあります。まだ荒削りですが、芯に火を持っている。舞台の片隅に置いておくような子ではありません」
正邦の言葉は穏やかだが、強い確信がこもっていた。
長谷川はしばらく黙し、それから静かに立ち上がった。
「お前がそこまで言うなら、見せてもらおう。次の回しで一曲、好きに踊らせてみろ。客の目はごまかせんぞ」
正邦は深く一礼した。
「ありがとうございます。必ず、彼女の火を見せてみせます」
その夜、舞台の照明が落ち、静寂が訪れる。
そして彼女が登場した。流れるようなステップ、腰の切れ、そして一瞬のポーズに宿る艶。
客席が静まり返り、そして拍手が湧いた。
楽屋に戻った彼女に、長谷川は一言だけ言った。
「悪くない。」
こうして、志水とし子は、名もなき端役から踊り子として頭角を現していくことになる。