北野恋愛映画Dolls(4)待ち続ける女
Dollsの二話目は、ヤクザ親分の恋物語です。
年をとると、昔の純情だった頃の恋愛を、思い出す。
20年も過ぎたのだろうか、
カタギの時代に、恋仲の松原智恵子に
「私、毎週土曜日は弁当を作って、ここでずっと(公園のベンチ)待っている」
と言わせたままになったことを思い出す。
まさか待っているわけはないと思いながらも
親分は公園に行ってみる。
すると松原智恵子は待っていた。
もう顔はわからないようだ。
ベンチに座ると
「ここは彼が来るから、駄目、空けておいて」と注意された。
待つ恋は美しい。
ブーべの恋人
サヨナライツカ
冷静と情熱の間
幸せの黄色いハンカチ
ひまわり
コレラの時代の愛
初恋のきた道
思い出せば、いろんな恋愛の名作がでてくる。
親分は毎週通うと、松原智恵子にも変化が起こる。
親分が尋ねる
「彼氏は、こないんですか?」
「もう来ないんです。
最近は、あなたが来るようになったので、
もう彼を待つのはやめようかと・・・」
実りつつある恋・・・・、
再び暴力的な結末が、おとずれる。
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なぜ
松原智恵子は親分が長年待ち続けた昔の恋人と気づかないのか?
同じような映画と小説があります。
1.アデルの恋の物語
フランソワ・トリュフォー監督のフランス映画
待ち焦がれた男と会うが、アデルは狂っていて本人と認識できない。
アデルは中尉に恋するが、中尉は遊びだった。
ストーカーとなって中尉の赴任地を回り、
中尉の冷たい態度に精神的におかしくなり、発狂する。
その後中尉が復縁しようとするが、
もう中尉かどうかも、わからないほどアデルは狂っている。
アデルは文豪ユーゴーの次女で実在
2.三島由紀夫「班女」
待ち焦がれた男と会うが、狂っていて本人と認識できない。
世阿弥の作で、女が相手を思う気持ちが強すぎて虚脱状態になる。
世阿弥オリジナルは男と再会してハッピーエンドだが、
三島は班女の恋煩いが進行していて、
班女は再会しても思いの男と認識できず、
レズになってしまう。