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フェイドアウト断章  作者: 石藏拓(いしくらひらき)


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長谷川一夫と「ロマンス座」のはじまり

長谷川一夫と「ロマンス座」のはじまり

昭和二十一年――焼け野原の東京には、まだ戦争の匂いが残っていた。


それでも、新橋演舞場の楽屋裏には、かすかにではあるが華やぎが戻りつつあった。楽屋の奥で、化粧台の前に座る一人の男。白粉を打ったその横顔は、誰が見ても一目でわかる。長谷川一夫――銀幕の貴公子、時代劇の王者。戦前、松竹と大映の双方でスターとして君臨した彼が、戦後もなお、その輝きを失っていないことは誰の目にも明らかだった。


だが、彼の胸中には焦りがあった。


「このままではいけない……映画だけでは、表現しきれぬものがある」


焼け跡に残った芝居小屋。仮設の楽屋。くすんだ幕。そんな環境であっても、一夫の目には、舞台という場が持つ「生命力」が映っていた。芝居には、瞬間の美がある。呼吸がある。観客と演者の間にしか生まれない緊張と快楽が、確かにそこにはあった。


「もう一度、舞台を――私の手で」


彼は決意した。単なる俳優として出演するだけではない。自ら主宰し、演出にも関わり、作品の品格までもコントロールする。そのためには、自分の名を冠した座組が必要だった。


そして彼は「ロマンス座」と名付けた。


その名に込めたのは、美の追求と、大衆への夢の提供であった。「ロマンス」とは、単なる恋愛劇のことではない。現実の苦しさをひととき忘れさせ、人の心を高貴な場所へ連れていく芸術の力――彼はそれを信じていた。


旗揚げ公演には、旧知の役者や舞踊家たちが顔を揃えた。演目は、艶やかな時代物。刀が空を裂き、裾が翻り、うつむいた女形の白い襟足に客席が息を呑む。照明が落ち、幕が下りた瞬間、満員の観客席から拍手が沸き起こった。


その夜、一夫は静かに舞台の端に立ち、袖の奥から舞台を見つめていた。どこか遠いところを見るような眼差しで。


「これが、私の戦後だな」


言葉は少なかったが、その背中には、役者としての矜持と、表現者としての未来が滲んでいた。


ロマンス座の活動はやがて、南座、歌舞伎座、新橋演舞場と各地を巡り、多くの観客を魅了した。その都度、一夫は舞台の美術から照明の加減、女形の袖口の流れまで、細やかに目を配ったという。


演じるだけではない。創る人であり、導く人でありたかった。


長谷川一夫の「ロマンス座」は、戦後の混乱期にあって、芸術の力で人の心を救おうとした小さな灯火だった。それは、やがてテレビの時代が訪れるまでのあいだ、芝居小屋の空に静かに、しかし確かに、燃えていた。

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