1949年(昭和24年)大牟田市でのロマンス座巡業公演
炭塵の街・大牟田
筑後の南端、三池炭鉱の町――大牟田。
その名を聞いたとき、長谷川一夫は眉をひそめるでもなく、うなずいた。
「行こう。あそこには、まだ芝居を待っている目がある」
大牟田公演は、当初の予定にはなかった。だが、地元の炭鉱労働組合からの強い要請が届き、急遽スケジュールが組まれた。芝居小屋ではなく、公民館の講堂を舞台に使うという、いわば“応急公演”だった。
六月初旬、曇天のなかロマンス座の一行が大牟田駅に降り立つと、鼻をつくのは石炭のにおいだった。駅前の通りは粉塵にまみれ、人々の顔も煤けている。子供たちは裸足で、女たちは洗濯物の中から手を止めて一座を見つめていた。
「長谷川一夫って、あの銀幕の……?」
ざわめきが起こった。だが、東京や熊本ほどの熱狂はない。ここでは、毎日の暮らしがまず先にある。
公演会場となったのは、大牟田市の旧三池尋常小学校の講堂跡を改装した仮設舞台だった。座員たちが自ら木材を運び、簡易な花道を設置する。照明は裸電球、音響は手作業。だが、誰も不平は言わなかった。
「芝居ってのは、こんなとこから始まるんだよ」
長谷川の声に、若い座員たちも真剣な表情を見せた。
演目は『一本刀土俵入り』。かつての力士・駒形茂兵衛が、流れ流れて女郎を救い、再起を誓う物語――この町にこそ、届けるべき話だった。
幕が上がると、客席には鉱夫服の男たちが腕を組んで座り、奥のほうには子供を抱えた母親たちの姿があった。皆、無言だった。だが茂兵衛の叫びが、静かに空気を震わせた。
「人の情けは、どんな闇夜にも、灯がつくもんでぇ……!」
舞台の下で、目頭をぬぐう老鉱夫の姿があった。拍手は小さかったが、確かだった。終演後、ひとりの少女が近づいてきた。おそらく小学校低学年、父親の手を引いていた。
「これ、おかあちゃんが作ったおはぎ……おにいちゃんに、て」
長谷川は、しゃがんでその目を見た。少女の母は戦争で亡くなったのだという。彼は無言でそれを受け取り、深く頭を下げた。
その夜、大牟田の宿に戻ってから、長谷川は座員たちに言った。
「今日の拍手は、きっと忘れられない。あれは、芝居そのものじゃなくて、ここまで来た俺たちへの拍手だ。けど、それでいい。俺たちは、拍手を返しに来たんだ」
旅芸人として、銀幕のスターとして――彼はその両方の顔を超えて、ただ「一人の役者」として、大牟田に立っていた。
翌朝、列車の汽笛が響くなか、ロマンス座の一行は再び北を目指した。駅のホームには、数人の鉱夫と、あの少女が立っていた。
少女は静かに手を振った。長谷川も帽子を取って、それに応えた。
大牟田の空は、相変わらず煤けていたが、その雲の向こうには確かに、希望の光がのぼり始めていた。