ロマンス座1949
『地方公演――ロマンス座1949』
昭和二十四年の春、長谷川一夫はふたたび「旅人」になった。
帝劇の大舞台を下り、時代劇の銀幕からも一歩距離をおいた長谷川が立ち上げたのは、「ロマンス座」という新しい一座だった。座付きの女優には、彼が信頼を寄せる若手たちが集まり、舞台監督や大道具も映画の現場から引き抜いた。彼の意気込みは、単なる興行の枠を超えていた。
「芝居の本質は、観客と肌でぶつかることだ。東京の空気だけ吸っていては、やがて芝居は腐る」
出発の日、上野駅のホームには異様な熱気が立ち込めていた。戦後の混乱がまだ色濃く残る中、人々は生の芝居を求めていた。長谷川が動くというだけで、地方紙は大きく取り上げた。「銀幕の貴公子、旅芝居へ」――そんな見出しも躍った。
最初の公演地は、名古屋。駅前にはもう人だかりができており、地元の芝居小屋ではすでに立ち見券も売り切れていた。
楽屋では、女優の一人が長谷川に声をかけた。
「先生、本当にこの巡業でやっていけるんでしょうか。東京に戻る場所がなくなったら……」
長谷川は静かに笑い、鏡に映る自分の顔をじっと見つめた。
「舞台があれば、人はどこでも芝居をする。場所じゃない、覚悟の問題だよ」
名古屋の初日、幕が上がると客席は静まりかえった。演目は『雪之丞変化』。映画ではもう何度も演じたが、舞台となればまた違う。長谷川は言葉一つ、指先の動き一つで、観客の息を奪った。
終演後、拍手は鳴り止まなかった。
この年、ロマンス座は全国二十余カ所を巡る。熊本、大分、広島……と続く旅のなかで、長谷川は観客の中にまだ芝居を信じる目があることを確かめていった。
夜汽車のなか、窓の外を流れる風景を見ながら、彼は心の中でつぶやいた。
――これが俺の戦後か。
戦地から戻った兵士たち、焼け跡で生きる子供たち、そしてまだ貧しい暮らしの中で芝居を観に来てくれる人々。その誰一人をも裏切らないために、長谷川一夫は、銀幕の栄光に背を向け、旅芝居の道を選んだ。
それは、孤高の俳優が自らに課した、もうひとつの「主演」だった。