晩年の正邦乙彦 サンズリバーサイド外伝
晩年の正邦乙彦──その静かな情熱
晩年の正邦乙彦は、表舞台からすっかり姿を消していた。若い頃の華々しい実験演劇、そして一世を風靡した伝説の舞台「ジプシー・ローズ」を生み出した革命的な才能も、時代の波に押されて忘れられていったかのように見えた。
彼が最晩年を過ごしたのは、信州の静かな山村。かつての弟子の一人が営む古びた劇場付きの民宿の離れに居を構え、劇場の裏手にある畑を耕しながら、原稿用紙にびっしりと手書きの戯曲を書き綴る日々だったという。
その日記には、こう記されている。
「舞台は血だ。観客の鼓動を裏切ってはならない。ジプシー・ローズは、あのとき確かに生きていた。だが、舞台は一夜で消える蜃気楼。だからこそ、今日も書く。」
この時期、彼は誰にも見せることのない新作を十数本も書き上げたとされる。特に「薔薇の果ての海」や「灰燼に咲く花」などは、死後に一部が発見され、現在では演劇学の貴重な資料として扱われている。
「ジプシー・ローズ」への未練
乙彦は晩年まで「ジプシー・ローズ」という作品に対する特別な感情を抱いていた。その舞台は彼にとって、芸術的頂点であると同時に、すべてを消耗した代償でもあった。
かつてのインタビューではこう語っていた。
「あれは私の人生を一夜で燃やし尽くしたバラだ。誰かがもう一度あの花を咲かせてくれるなら、それが一番の供養になる。」
彼は、自らの演出に誰も手を加えないことを条件に再演を許可しなかったが、死の直前には口述でこう残している。
「もう、誰かに咲かせてもらってもいいかもしれないな。あのバラは、まだ枯れていない気がする。」
静かなる最期
乙彦は劇場の稽古場の片隅で、手に戯曲ノートを持ったまま静かに息を引き取った。発見したのは、かつての弟子の一人であり、彼の看取り役でもあった女優・柊美佐子だったという。
彼の葬儀は、ごく内輪で、読まれた弔辞の一節はこう締めくくられていた。
「正邦乙彦、あの人は舞台に骨を埋めた。いや、舞台そのものだった。」