天才踊り子の誕生 サンズリバーサイド外伝
サキは湯気の立つコーヒーカップを手に、ゆっくりと口を開いた。傍らにいる助手のケイコは、ノートを開いたまま息を潜めていた。
「ローズはね、大牟田に巡業に来ていた長谷川一夫主宰の『ロマンス座』と一緒に、昭和二十四年──そう、1949年に上京したのよ」
当時の芝居小屋には、今では考えられない熱気があったという。端役で舞台に立っていた少女、敏子。そのあどけなさの中に秘めた艶を、ある男が見逃さなかった。
「その少女を一目見て惚れ込んだのが、正邦乙彦よ。元無声映画の役者でね、戦後はストリップ演出の先駆けと呼ばれた男だった」
乙彦は敏子に、ただの脱ぎではない、芸としての踊りを仕込んだ。彼の舞台には、どこか映画の名残があった。影と光、静と動。その中に、少女の身体が物語を宿す。
「ジプシーは──まだ十五の子どもだった。でもね、いつしか彼女は先生に恋をしてた」
血の滲むような努力で、敏子は踊り子としての頂点へ駆け上がる。名は「ジプシー・ローズ」となり、東京では知らぬ者のいない存在となった。
昭和二十八年以降、東劇パーレスクに名を連ねると、連日満席。五階まで続く階段に、男たちは行列を作った。花束を抱え、洋酒を提げ、キャンディを手に。
「でもね、ステージを降りた彼女は……まるで子供がそのまま大きくなったようだった」
演出家がそばにいなければ、何ひとつ自分で決められない。そんな少女がすがったのは、酒だった。依存という名の毒に、彼女の体は静かに蝕まれていった。
かつて満員を誇ったパーレスクの客席も、ある頃から次第に埋まらなくなった。ジプシー・ローズは、次第に変わり果てていった。
「大牟田でも、一度だけ公演したの。でも、あそこほどやりにくい土地はなかったって……本人が言ってたわ」
最後のステージでは、誰もが気づいていた。そこに立つのは、かつてのジプシー・ローズではない。浮腫んだ体に、無理に化粧を施して──それでも、踊った。
「アル中になって、腎臓も悪くして……もう、踊れる体じゃなかった」
語り終えたサキは、カップをそっとソーサーに戻した。コーヒーの香りだけが、静かに漂っていた。時代の熱を、舞台の灯を、その身で知る者の沈黙だった。
ケイコはノートを閉じ、ただ一言、囁いた。
「ローズさん……哀しいほど、綺麗な人だったんですね」