ジプシー・ローズと長谷川一夫 サンズリバーサイド外伝
私は大牟田に帰ってきた。
ずっと心のどこかに引っかかっていた名前――ジプシー・ローズ。テレビで彼女のドキュメンタリーを見たとき、私の胸はざわめいた。
画面の中で、時代を彩ったひとりの女性が微笑んでいた。日本のマリリン・モンローと呼ばれたその人が、大牟田の出身だと知った瞬間から、なにかが私の中で動き始めたのだった。
大牟田図書館の古びた閲覧室。
壁際に並んだ郷土資料の棚から、一冊のファイルを手に取る。
「ジプシー・ローズ」――その名のページを開くと、ふわりと紙の匂いとともに、時代の風が吹いてきた。
志水敏子。
彼女の本名だ。トシ子と読むらしい。生まれは西宮浦町三十八番地。
私はその住所を見て、地図を思い浮かべる。かつての炭鉱の街、大牟田の一角。
知らず知らずのうちに、その場所に足を運んでいた。
敏子が上京したのは1949年。
まだ15歳になるかならないかの年。
彼女は中学――今の不知火女子高校を中退し、長谷川一夫主宰の「ロマンス座」に加わったという。
その劇団が大牟田に公演に来たとき、何か運命のようなものが動いたのだろう。
当時の学校は今、上官の結婚式場になっている。モーリアクラシック大牟田迎賓館――奇妙な重なりに、私はふっと笑ってしまった。
人生の門出を見守るその場所で、敏子は夢への門をくぐったのだ。
図書館の資料には、彼女の成人時のデータも残っていた。
身長162センチ、体重58キロ。
当時としては高身長だ。
なにより、彼女の写真を見たとき、私は息を呑んだ。
白い肌、くっきりとした目鼻立ち。
それは日本人のそれではなかった。まるで白系ロシア人――そう思ってしまうほどの異国の面差し。
あふれるような豊満なボディと、どこか憂いを帯びたまなざし。
「ジプシー・ローズ」の名が、アメリカの有名なストリッパー、ジプシー・ローズ・リーに由来することは間違いないだろう。
敏子は、ただの地方の少女ではなかった。
彼女の中には、何か別の血が、別の時代が、息づいていた。
私は静かに本を閉じた。
彼女の物語の続きを、誰かが書かねばならない気がした。
そしてそれは、他でもない、私なのだと思った。