サリンジャーの最初の小説
サリンジャー
彼が最初の小説を書きはじめたのは、戦争の影が濃くなる少し前だった。
ニューヨークの下宿の机に、安物のタイプライターと薄い紙束だけ。
夜ごと、近くの酒場から笑い声が漏れるのを聞きながら、彼は静かにキーを叩いた。
書こうとしたのは、英雄譚でも恋物語でもない。
自分が実際に見た「若者たち」――
華やかなパーティーで退屈そうに煙草をくゆらせる青年たち、
軽口を叩きながらも、どこか死んだ目をしている少女たち。
彼はその虚ろな会話を、まるで記録映画のように冷ややかに描いた。
それが『The Young Folks』だった。
なぜ書いたのか? 彼自身がその空虚さに傷ついていたからだと、私は思う。
そしてなぜ送ったのか?
彼は自分の中の痛みが、世界のどこかで同じ痛みに震えている誰かに届くと信じたのだ。
封筒は、きちんと宛名を書き、切手を二枚貼って投函された。
数週間後、編集部から返信が来た。
便箋には短く、しかし決定的な一文があった。
――「あなたの作品『The Young Folks』を、次号に掲載いたします。」
それだけだった。
「とりあえず出しますね」とでも言うかのように、淡々としていた。
だが彼にとって、それは世界から初めてもらった「存在の証明」だったのだ。




