##9 白血病
##9 白血病
八月十四日
妻の目撃から二年と九ヶ月が経過した。
妻は下半身の異常出血で医者に行った。
「子宮頸ガン」の疑いがあるので、検査になった。
大学病院の検査で子宮頸ガンでなくて
血液ガンの疑いが濃厚になった。
昔から妻は低血圧だ。
医者から血が足りない体質だと言われていたという。
八月二十二日に骨髄検査をした。
九月四日には検査結果が出るという。
八月二十四日(日)
妻は悪寒がすると悲鳴をあげた。
体温を測ると三十九度で意識朦朧としていた。
約三十分で三十七度に戻った。
昨日の夕方も同じだった。
十三時過ぎに病院へ連れて行った。
血液検査で白血球が十六万以上と異常な数値となった。
致死するかもしれないと医者に言われて即入院した。
空き部屋がなく別館に入院。
十七時になり内科専門の七階無菌室に入る。
意識がない。
急性骨髄性白血病と確定した。
僕は夜になり家に戻って娘達に豚肉のお好み焼きを作って食べさせる。
八月二十五日(月)
とても暑い。仕事が終わり、夕方に病院へ。
A棟七一八号室の無菌病棟に入っている。
妻は悪寒はしない。
生理で困っていた。
医者は脳内出血しないで良かったと言った。
三、四日が勝負だそうだ。
二月頃に白血病を発症したという。
発症時期がわかるとは驚きだった。
妻が書いた入院日記
八月二十二日
骨髄検査の後、帰宅. いつもと変わらずすごす。
夜 耳の奥でシャンシャンという自分の血流みたいなのが
聞こえたので具合が悪いんだなと早く寝る。
八月二十三日
午前中に歯医者へ行く。
病気のことを少し話し、炎症のある歯は抜きたいと言うと、
今はどちらにしても手をつけられないので、
来週 先生と相談してからと言われた。
抗生剤(ケフレックス、ボルタシン)をもらって帰る。
夜 早めに寝たが 悪寒と震えが止まらず
次に三十九度の高熱が出た。
でも気持ちはしっかりしており、
熱が下がるとケロっとしてるので、更年期だろうか?
自分の体温調節がとれなくなってしまった。
交感神経 副交感神経 要するに
自律神経がおかしくなってきたんだろうか などと考える。
八月二十四日
朝から悪寒と発熱をくり返す。明らかに病状が悪い。
口の中もひどい状態、病院に電話。
病院では血液検査と胸と腹部のレントゲン。
二十二日の骨髄検査結果が出ていたようで、白血病らしい。
そうかと思った。
白血球が十九万まで上がっているので即入院と言われた。
普通は四千~八千。
いろんなことが気になるが、命を失いたくないのでおとなしく入院する。
夕方から化学療法が始まる。
抗ガン剤を夜になって注入。
患者一名に三名の医師がグループで付くことと、病気の説明があった。
八月二十五日
昨夜は眠れなかった。熱もあり、食欲なし。
悪いんだと自覚。会社のことが気になって、頭痛もする。
生理もきてしまった。
妻が入院して、僕は主夫になった。
自動食器洗い機と自動洗濯乾燥機を買った。
高校生と中学生の娘二人は当たり前のように主張した。
食べさせるのは親の義務だと。
僕は毎日の夕食だけは作った。朝昼は食事代を渡した。
おかずは一品しか提供できなかったけど。
長女と次女で、別々のおかずを作った。
一ヶ月の献立を決めて、きっちりとローテーションを守った。
献立で悩まないためだ。
学校に呼ばれた。
次女の不登校で先生に謝る回数が多くなった。
母親がいないと子供は歯車が狂う。ネジが緩んでしまう。
僕は娘を叱れない。父親失格を痛感した。
八月に入院。翌年の二月七日に妻の弟の血液でドナー移植。
六月十六日に退院した。
九月十六日に再入院して十一月三十日に退院。
治療費は月百万以上。
多い月で二百万を超えて全治療費は一千万を超えた。
僕は医者じゃなく、勝手な想像だが、
白血病とは造血細胞が白血病細胞に乗っ取られて、
武器を持たない白血球をインフレのように作っていく。
一人前の白血球(防衛軍)兵士になるためには、
教育とか訓練とか必要で、なかにはだめな兵士もいる。
立派な司令隊長と隊をなして、
体に侵入した病原菌や異物を撃退する。
白血病は兵士の教育訓練をする教官陣を壊滅させてしまう。
体の防衛軍司令官は白血球が送られてくるので戦える兵士とカン違いしてしまう。
兵士が無能だと、次の兵士を要求する。
異常な数の白血球に膨れ上がる。
体内に侵入する病原菌や異物を排除するのが白血球の役割だから、
無能な白血球だと風邪などにかかれば無抵抗に死んでいくわけだ。
白血病治療には移植とか化学療法があるようだ。
妻は致死に近い状態で白血病とわかったので、
移植などの余裕がなく、
通常のガン治療と同じように抗ガン剤投与となった。
抗ガン剤って聞こえがいいが猛毒だ。
核爆弾みたいなものだ。
体にあるいろんな工場が全部破壊された。
妻は完全に脱毛して子宮頸ガンも治ってしまった。
白血病細胞に乗っ取られた造血工場も壊滅した。
新たな造血工場の再建となる。
再建中が危険だ。
体内に侵入する病原菌は白血球がないので排除できない。
侵入する病原菌で殺される。
無菌室にいても、百パーセントの無菌は無理だ。
空気中にただよう病原菌が体に進入してくる。
妻が最初にひっかけたのが肺に侵入した病原菌だった。
入院して化学療法で白血病細胞を叩いたが、
造血工場再建途中の十一月に肺炎になった。
進入したのは日本酒の麹菌の仲間(カビの一種、アスペルギルス)らしい。
酒豪の妻らしい、なんとも皮肉。
異物が肺に侵入すると、治療はできないと聞いた。
風船みたいな肺の手術はできないそうだ。
肺炎が治らず。
いつ呼吸不全で死ぬか不安の中、ドナー移植を決行した。
医師も悩んでいたが決行した。
移植は成功した。
肺炎で死ななかったのは奇跡だった。
ひっかけたアスペルギルスが腎臓に秘かに潜んでいた。
九月に再入院した。
腎臓炎となり暴れ出したからだ。
移植について妻の日記から
移植一日日目
二月六日 新しい命の宿った日
十一時過ぎに もう骨髄液がくる。
確か 九時に 採血開始と言ってた。
医師がやって来て言った。
「弟さん 若いので 多くとれました。
予定量は七百だったけど よくとれるので
千百cc いただきました。
多いほど 立ち上がりが早いですから」
骨髄液は輸血のときのようなパックに入っており、
けっこう サラサラしているように感じた。
若いので油があり、上面に、油の玉が浮いていた。
十一時半頃から落とし始めて十四時に終了した。
酸素をはかりながら、血圧も見ながら
とりあえず終了した。
おめでとうございます。やっとここまできた。
移植をどれほど望んだか。
一人になってパックを見上げたときに、
感激で、涙が出た。
今までずいぶん泣いたけど、今日の涙は違う。
新しい命が生まれたときの涙といっしょだ。
娘二人を産んだときの、あの涙だ。
新しい骨髄が立ち上がるまで約二週間。
一番 きびしい時期は これから やってくるけど
どんなに苦しくても 負けない!!
移植は、放射線で、妻の体内にある造血細胞をゼロにして、
弟の骨髄液に入れ替える。
白血球の型(HLA型)が一致したのは、
年の離れた二番目の弟だけだった。
脊髄から骨髄液をとるのだから、弟側にもリスクがあると知った。
半身不随になることもあるそうで、
弟は髄液をとったあとに入院した。
弟には三十万円を慰労金として進呈した。
白血病になった原因は、なんだろう。
四十歳代後半でフルタイムの仕事に就いたからだろう。
白血病は血液のガンだそうだ。
妻は酒豪で愛煙家。ガンになる確率は僕より三割増し。
ガンはストレスが一番の原因だという。
ストレスだとすると、
不倫問題で僕が責めてしまった。
僕が過去に不倫で悩んだ経験があれば責めなかっただろう。
悔いが残る。
不倫の結果がフルタイムの仕事に結びつく。
妻は極度の冷え性で、血が足りない体質もなにか影響があるかもしれない。
果物は病人が食べるものだと言って、
果物好きで毎日果物を食べる僕を批判した。
僕はラーメンには野菜や多くの具がないと食べられない。
「なぜ?具なしの麺だけのラーメンが好きなんだ。
理解できない」と妻に言った。
非難されるかもしれないが、妻が闘病で苦しんでいるのを見て、
僕が妻からプレゼントされた死ぬほどの苦しみを、
妻も病気をして苦しんでいると思った。
嘘をつかれるのが、どんなに残酷か、経験した人にしかわからないだろう。
十一月三十日に退院した。
妻は寝込まず。生きている幸福を味わっていた。
リハビリしながら娘のために弁当や食事を作っていくようになった。
全自動食器洗い機や全自動乾燥洗濯機には感動していた。
食洗器は食器を乾燥してくれて、ふきんで拭き取る必要がなく、
食器棚に入れるだけで済む。妻のお気に入りになった。
全自動洗濯乾燥機も便利で、雨の日は近くのコインランドリーに乾燥しに行っていた。
自宅に乾燥機がある。
一番のありがたみを痛感したのは妻だろう。
約一年、主夫をやったからいえる。
夫も家事を一ヶ月でもいいから全面的に行うと、
妻が購入を遠慮した2つの家電の必要性を感じるだろう。
早く買っておけば良かったと思った。
名前を変えると言う。妻の名前はひらがなの名前だった。
漢字にすると言う。改名については鑑定料を払ったようだ。
僕は反対した。亡き祖母からもらった名前だと聞いていたからだ。
読み方は変えなくても字体は変えてはならないと思った。
妻側が僕の反対に応じるわけがない。
妻の祖母は天国で怒って助けはしないだろうと思った。
改名前に奇跡で生還したのだから、なぜ改名する必要があるのだろう。
漢字の字面を見て不気味に思えた。
改名については家庭裁判所に申し立てをした。
家庭裁判所の許可が下りずに妻は勝手に保険証、年金手帳の名前を改名した。
僕は反対したので、僕には説明もなく妻の日記からわかった。
改名には罰則規定はないとも、妻の日記に書かれていた。
改名で、もめたのは病院だった。
病院からはレセプトが通らないかもしれないと言われた。
健康保険側から改名してもレセプトは問題ないとわかった。