##06 不倫は別れる理由にならない
##06 不倫は別れる理由にならない
妻が喫茶店に着いたのは、夜の八時を少し過ぎた頃だった。
店内は静かで、カップがカウンターに触れる小さな音と、かすかに流れるジャズの旋律が心地よく響いていた。僕は窓際の席に腰を下ろし、目の前の妻を見つめた。彼女は小さなカップを手に、ゆっくりとコーヒーを口に運んでいた。その仕草には、どこか戸惑いが滲んでいるように見えた。
別れるときは、愛しているとき以上に優しくなければいけない。それが僕の信条だった。冷静でいようと心に決めていたが、なぜか胸がざわついて仕方がなかった。ずっと一緒に過ごした時間、笑ったり、泣いたりした日々が、脳裏に次々と浮かんでは消えていく。
妻はオーケストラを辞めたくない。
バイオリンと、そして娘の存在が、彼女にとっての生きがいだった。彼女の目はそのことを語っていた。
僕は彼女の人生の中で、ただの協力者に過ぎなかったのだ。二人で築き上げた生活も、彼女が心から望んでいたものとは違っていたのかもしれない。
妻には離婚したくても、できない理由がある。
1.難関の桜陰中学に入った長女の学費だ。
専業主婦なので、稽古やパートでの副収入では足りない。
次女も私立の学校に入れたい。
お金は全部妻に任せていて、僕は月々に昼食代として小遣いをもらっていた。
二.妻の実家には二人の孫が同居していた。
娘二人の学費の心配がなくなるまでは、我慢すると考えているだろう。
十五年も寝食を共にしているので、妻の考えが手にとるようにわかる。
娘たちが金銭で不幸になるのは見たくない。
話し合いの結果、約束したのは、オケの練習が終わった後、飲みに行かない。
定演のあとの一次会の飲み会参加は認める。
マサとは、会ったり、メールや電話はしない。
目撃がなかったら、妻の不倫を永久に知らなかったかもしれない。
知ろうともしなかった自分に気づいてしまった。
妻を観察していて、初めて知った妻をみつけた。
妻を放置したのが、ツケとなって、津波のように押し寄せてきたわけだ。
一月十一日(金)
妻に、友人のサオリとマサに会いたいとメールした。
マサとの不倫がどこまで進んでいたか確かめたかった。
会えばわかりそうに思えた。
妻から、なぜマサに会いたいのか、理由をメールで聞いてきた。
僕は目撃の日に挨拶もしないで、仁王立ちしていたのを詫びたいからだと言った。
マサは僕との会見を拒否できない。
マサの会社で騒がれたら、密告文書が会社へ投函されたら、
マサのサラリーマン生活は終わりになるからだ。
人事部で長のつく役職、妻と同じ年齢、危うい立場にある。
僕ら夫婦の行方次第では、損害賠償請求、会社とオケもやめさせられて、
マサの家庭も崩壊するかもしれないからだ。
僕はマサの一生を左右する運命のスイッチボタンを持っているのだ。
マサはビクビクして眠れないはずだ。
二十時頃だった。友人サオリ宅を妻と訪問した。
逝かれた御母堂様の祭壇に線香をあげ、妻のアリバイのひとつは一致した。
友人に妻の不倫を告げると、友人は「まさか?冗談でしょう」と、
演技でもなく、妻にはありえないという顔をした。
僕だって信じられないので、親友も意外だっただろう。
不倫しそうもない妻なのである。
オケの練習に行く時は送り迎えするつもりだと言った。
友人は「じゃじゃ馬だから、束縛監視すると出て行くよ」と助言してくれた。
友人宅からの帰宅途中に、妻は明日、マサに会わせてくれると言った。
マサは「俺、なぐられるのか?」と心配していたらしく、
夫はそんな人ではないと説得したそうだ。
一月十二日(土)
十一時頃、『ハリー・ポッター』の映画を家族で見に行く。
いつもならば映画は夫抜きで行っていたが、
妻が行くところには同行しないと気が収まらなくなっていた。
映画を観て、ポッターの境遇に共感して、涙がとめどなく流れた。
僕の悲惨な幼児期と同じで、目撃以来の情緒不安定もあるのだろう。
年をとると涙もろくなるという。
人生の修羅場を経験すると、心のトゲは涙でしか流せない。
他人の痛みがわかるようになったのだろう。
二十二時頃に新宿駅で妻がマサに会わせてくれた。
目撃の日は深夜で暗かった。どんな顔だったか忘れていた。
妻が紹介しなければ、マサの顔などわからない。
喫茶店に三人で座った。
マサの顔を、一生忘れられないように目に焼き付けた。
僕に落ち度があるからだ。
マサに夫婦崩壊をさせられたが、責められない。
マサに言った。
「妻を幸せにしてほしい」
好きな者同士のマサと妻が結ばれるのが一番いいのだ。
同じ趣味、同じ年齢、オケという同じ道があるからだ。
僕と妻の共通点はなにもない。
マサと妻は、僕にない酒豪、愛煙家、宴会好きだ。
二人の恋愛を応援したいと思った。
遠慮なく妻を進呈すれば僕の苦悩が消える。
マサは「同志で、あるだけだ」と言った。
ドウシ、同じオケで、オケ活動をする同志?
逸脱して肉体関係まである同士なのか?
皮肉を言いたかった。
なぜか一歳年下の二人に大人ぶってしまった。
二人は警戒して、口は重く、以降はずっと沈黙が続いた。
「この前は仁王立ちで失礼をしました」と謝った。
二人の顔色を見た。二人の関係は灰色のままだった。
沈黙が続き会話は進まず、解散となった。
マサの顔は妻の好みのタイプではない。
妻の好みは田村正和で、真逆の顔だ。
毎年、田村正和の定期公演を観に行き、
田村氏が劇場から帰るのを待ち伏せして、
手をしっかりと握ってくるの。
妻は田村氏ならば身も捧げてもいいと、平気で僕に言った。
マサが妻のタイプだったら、
二十年以上と、僕より交際期間は長いし、
マサが妻に求婚したときに結婚を承諾していただろう。
僕のときと同じように妻から積極的に出たのだろう。
次に、性格が僕とは真逆に思えた。
本で読んだが、不倫相手には夫と真逆を求めるそうだ。
配偶者とは別の男を求めて不倫するようだ。
母から電話があった。
正月の帰省中に次女は母に「ママは離婚する」と言った。
母は心配して電話してきた。
僕は目撃の話を母にした。母は知っていた。
妻は母に報告していたのだ。
母は「そんひとは、あなたと逆の男たい。癒し系タイプ。
やけぼっくりに火がついたとよ」と言った。
やけぼっくり?聞いた言葉だが、意味が曖昧なので辞書で調べた。
「やけぼっくり」でなくて「焼けぼっくい」。
焼けた棒杭に火がつくということで、
一度別れた男女が再び燃える様のようだ。
別れた?求婚を断っただけでは?
「肉体関係はないと言っているけど」と母にたずねると、
母は「なかよ。更年期障害で、出血しとるらしかよ。
そんに、帝王切開した跡なんか見せたくなかよ」
カンはするどい母だが、男の僕には理解できない。
妻は四十五歳頃から体の具合が悪くなったのは知っていたが、
出血を繰り返していたとは驚いた。
コトの方は消極的になっていたのは事実だが。
男と女だ、肉体関係はあるはずだ。
勝手に想像するマサの性格だが、寂しがり屋で子供を大切にして、
みんなで群れたがる。妻と同じような性格だろう。
僕は逆で寂しいという感覚はなく、群れるのは苦痛だ。
非科学的だが、妻もマサも羊年で、羊は群れたがる。
僕は幼い頃から父がいない。
僕は実父の思い出がない。実父の名前を知らない。
母は働いていて一人にされていた。
一人でいても寂しいとは思わない。
母と初めて食事をしたのは母が再婚した小学四年だった。
幼い頃は祖母に育てられた。
一人で生まれてきたし、一人で死ぬだけだと思っている。
子育ては、妻が期待する夫ではない。
子供への愛情のかけかたが違う。
娘は生まれたときから自分のものではない。
結婚するまで黙って文句も言わず、
お金だけ出して同居するのだと思っている。
助言がほしければ惜しみなく娘に助言するが、
助言の押し付けはしない。
カンガルーの父が息子に喧嘩の方法を教えるのを観た。
子供は父に父親とは何かを学ぶのだろうか?
僕には父親が不在だった。
ネットにあるオケの活動内容でのマサと妻のエピソードや妻の話から想像する。
マサの父親像は妻の理想とするタイプのようだ。
同じ年だからだろうか?
テレビのホームドラマにでてくる父親像なのだろう。
僕にはありえない、できない父親像である。
皮肉にも、妻の父は僕と似ているという。
僕を妻は「とうさんに、そっくり」と言った。
父親と同じO型で大雑把な性格のようだ。
衣服の身支度は僕自身が行う。妻は手伝わない。
僕が急いで出社した時だった。
引き出しから靴下が五センチほど、
はみ出したままになった。
妻は、父にそっくりだと言った。
娘は父親に似た人と結婚して、
真逆な人と不倫するのかもしれない。
妻は父にも僕にもない理想の父親像を求めたのだろう。
昨夏にマサが、妻と娘二人をオケの仲間のキャンプに連れて行った。
家族にキャンプ体験をさせたいなど僕には想像がつかない。
完璧を求める妻は夫婦も家族もクラシックの譜面のように
型どおりの父親じゃないと納得しないようだ。
キャンプに行った娘たちは、マサをどう思ったか?
娘達からまたキャンプをしたいと聞いた覚えはない。
キャンプが嫌いになったのだろうか?
僕に似て、娘二人共に出不精のようだ。
一月十三日(日)
大塚駅のプラットフォームで練習帰りの妻を待ち受けた。
もしかしたらマサと一緒かもと思ったからだ。
駅のプラットフォームに立って、何本か山の手線の電車を見送ってから、
電車から妻が降りてきた。
降りて来た車輌を見るが、マサは発見できなかった。
妻の顔は動揺していた。
マサと一緒に乗っていたと確信した。
妻はマサが発見されなかったと安堵したのだろうか?
妻は「ワタシを信用できないの?」と声を荒げた。
「信用できるまで、駅まで迎えに来るよ」と言ったら、
妻は暗い表情になり、僕を相手にしない態度をとった。
密会は二人には天国だが、目撃した僕には地獄だ。
不倫が与える厳しい現実。
当事者には天国、不倫された側には地獄。
「不倫は別れる理由にならない」という本がある。
筆者は「不倫のショックは、すぐには直らない。
神経系統や認知機能に変調をきたしてきて、
アドレナリンなどのストレスホルモンが交感神経に流れ込んで、
一種の覚醒状態を作る。
パートナーがまた不倫に走りはしないかと、
四六時中、神経を尖らせて、猜疑心が強くなる。
衝動的・発作的な行動に走って、理性や自制心を失う。
監視・点検・探りに莫大なお金と時間をそそぎ込む。
常軌を逸しているのはわかっているが、
自分にはどうにもできない。
自分が好き好んで刑事ごっこをしているわけではない。
パートナーがそうさせてしまった。
二度とだまされないと躍起になっている」
と書いている。
一月十四日(月)祭日
妻は十三時からマンションの一階にある「集会室」を借りて、
オケの弦のメンバーを集めてボーイングの練習。
ボーイングとはバイオリンの弓の振り方。
五月の定演のためにオケ弦楽器トレーナーで、
プロの東京フィルのコンマスN氏を招待した。
妻にはあこがれの人のようで、地に足がついていない。
田村正和以上にN氏に恋していると初めて知った。
N氏と何度も電話でやりとりしている妻は、演奏本番前のように落ち着かない。
マンションの駐車場に到着したと聞くと、妻はかけだした。
いったいどんな顔をしているのか。
妻がマンションの駐車場で、N氏を迎えているところを、
二階の踊り場から垣間見た。
なかなかの美男だ。恋する妻の顔ばかりみせられる。
二十三時頃に僕は散歩に行った。
散歩コースは明治通りを西巣鴨交差点まで下って、
北区滝野川町に入り、上石神井川に沿ってある散歩道。
一時間程度歩いて帰宅すると、妻がいない。
娘が言うには、僕の帰りが遅いので、
妻は心配して車で探しに出たそうだ。
僕の落ち込みようは、自殺するように見えたかもしれない。
妻は帰ってから僕と寝室を共にするようになった。
いつまで続いたかは思い出せない。
ついでに、妻と寝ていた次女も参加して川の字となった。
僕は片岡義男の小説で映画にもなった『湾岸道路』の主人公になりたかった。
作品では、妻がアルバイトで夫以外の男と有料でセックスするようになった。
主人公の夫は言う。
「愛して、ただでさせてやれ。
おまえは、女房にしておくよりも、
金で買ったほうがいい女かもしれないな」
主人公の父がDVで、トラウマがあるのか、
主人公は有料セックスに反対もしないが、
だんだんおもしろくなくなった。
主人公は妻に言う。
「おまえのような姿のいい、ものすごい美人と、
あっという間に結婚してしまうのも格好よかった。
離婚して一人でどこかへいってしまうのはもっと格好いいと。
俺は思いついたんだ」
未明に妻をハーレーバイクに乗せた。
妻はたずねる「離婚してどうするの?」
「一人で、さまようんだ」と言った。
主人公は湾岸道路の入り口に着くと、道路に妻を下ろした。
「別れ話が起きてから一度も泣かなかった。
君は素敵な女だ」と言い、呆然と道路に立ちつくす妻に、
「元気でいろよ」と言って、ハーレー独特の爆音を響かせて悠然と走り去っていった。
「湾岸道路」に出てくる妻は僕の妻に似ていると思った。
僕の妻に雰囲気が似すぎている。
一月十五日
子供ができた頃から妻に無関心になった。
いや、お互い様だ。妻も僕に無関心になったと思う。
僕より娘二人に偏向して、妻は母になった。
僕の母は、妻を
「寂しかとよ。寄り添ってあげんね」と言った。
夫である以上、妻の監督不行き届きは娘らに申し訳ない。
嫉妬ではないような気がする。
自分の世間体を気にしているだけなんだ。
オケの関係者や娘らからコキュと言われて笑われたくない。
マサと駆け落ちでもしてくれれば、すっきりするのだが。
妻は昨年から介護ヘルパーの資格を取って、
家政婦とヘルパーのバイトをするようになった。
一時間千六百円だそうだ。
ヘルパー、バイオリン、ピアノのレッスンと、
次女が小学四年生になり働くようになった。
僕と違って、家に一日中ずっといるタイプではないと思ったが、
離婚の準備だったのだろうか。
妻を信用できない。
マサとは連絡しないと、僕に約束しておきながら、密通している。
嘘をつかれているのはショックだった。
疑惑が僕をイライラさせる。
マサとの電話はオケ関係もあるので、
どこまで疑っていいのか迷う。
僕は、オケをやめてもらうしかないと思った。
僕の情緒不安定は治らない、
頭の中で天使と悪魔が出たり入ったりしている。
『不倫は別れる理由にならない』という本によれば、
「不倫された側は異常な情緒不安定な行動や言動を行う。
精神障害ではなく、普通の人間に現れるショック状態。
心身共にショック状態に陥る。
自尊心は消え、自分を定義できなくなる。
自分が自分でないような気がして、
心の振り子は左右に激しく振り切られる。
強気で自信に溢れたかと思えば、
次の瞬間には弱気で頼りない自分になってしまう。
あまりの激情に圧倒されて、
ついには正気を失うんじゃないかと不安になる。
不倫された側の心理状態は急性のトラウマに対する、
正常で当然の反応である。
動揺の原因は夫婦関係の崩壊だけではない。
私は配偶者にとって特別な存在であり、
二人の愛は永遠に不滅という大前提が消え去ったのも一因。
ショッキングな事実が発覚した。
自分を見失うなと言う方が無理」
僕は思った。不倫されると誰もが同じ気持ちになるのだ。
読んで安堵感を持った。
傷の連帯感とでもいうのだろうか。
自分だけではないと思うと受けた傷が薄まっていく。
映画『目下の恋人』でも、不倫のショックは、
配偶者が交通事故で死んだと知らされるくらいのショックを受けるという。
良い例えだと感心した。
妻を僕から解放させたい。
離婚をしやすくしよう。妻の自立を助けるのだ。
妻にフルタイムの仕事を紹介すると決めた。
離婚できないのは妻に安定収入がないからだ。
営業所の事務担当がやめるという。
後釜に妻を紹介しよう。
事務担当と飲みに行き、根回しした。
同じ職場ならば、マサとの密通も減少すると思った。
完全に離婚するまでは隠れた不倫は許せない、
正々堂々と不倫すると言うのであれば反対はしない。
不倫で嘘をつかれるのが苦痛だった。
フルタイムの仕事を妻が行えば、一般社員の給与をもらい、
娘達が社会人になれば離婚は確実であろう。
別れたくても別れられない妻が哀れだった。
妻は誰のものだろう?。僕のものではない。
しかし妻が死ぬと、妻のものを処分するのは夫だ。
夫はどうあるべきか?
夫とはなんだろう。
マサとは隠れた肉体関係がある。
眠れないほど気になっている。
決定的な証拠をつかみたいと思った。
僕は後悔した。
妻に対して監視していないフリができなかった。
冷静になれず、妻に監視されていると思わせてしまった。
妻は始終警戒している。
妻を泳がせておいて、決定的な肉体関係の証拠を見つけるのが難しくなった。
一月十八日(金)
いたたまれないフラッシュバックが襲ってきた。
在宅の妻に二回も電話する。
妻はマサを僕に会わせたのを
「後悔している。会わせたのは失敗だった」と、言った。
オケでマサの推薦を受けてコンマスに返り咲き、
常に相談相手になってもらい応援してもらった。
「人間的に好きだ。マサはせまってこなかった。だから会っていた」と妻は言う。
酒もタバコも二人に共通で大好き、夫が入る余地がない。
同じ趣味嗜好がないのは夫婦間に隙間風を吹かせてゆく。
隙間に見事にマサが入ってきた。よくある不倫のパターンだ。
夫婦で共通しているのはファッションの好みだろうか。
二人共ヨーロピアンスタイルで、ニコル風が好きだった。
二十歳代からヴィトンのバッグ、シャネルのトワレを共に愛用していた。
妻は僕が若い頃着ていたシャツを大事に持っていた。
最初のデートの頃のシャツがお気に入りで、
僕より僕の着ていたチャコールグレイのタペストリー柄のシャツに恋したのかもしれない。
着ていた頃のあなたが好きよという顔をしていた。
一月十九日(土)
オケ練習日で、出かけるときに妻が警戒していた。
尾行されて練習先で監視されると思っている。
自宅から池袋駅はバスで三つ目だが、
今日は車で送ってほしい、
西武デパートに寄ってオケメンバーに菓子の差し入れをしたいと言う。
妻の定番の菓子はベルンのミルフィーユ。
十五時頃、先にマンションの駐車場へ行く。
妻はすぐに来ないで遅れて追いついた。
マサに電話したのだろう。
十八時頃に妻から自宅へ電話がある。
僕が練習先にいないか自宅なのか確認している。
二十二時頃に妻から今練習が終わったと電話があった。
帰って来た妻にマサとは、どういう話で終わりにしたかたずねた。
休憩時に、妻が「もう二人では会えない」と言ったという。
マサは「わかった、わかった」と言ったそうだ。
妻は練習の後の飲み会に参加しないで帰ってきた。
不満そうだったので二人で家で飲む。僕が酔っぱらってしまった。
一月二十日
妻に、また尋ねた。
十二月二十六日の師走で忙しいときに、
なぜ二人で飲みに行ったのか?
妻は言った。
「練習ができないのでコンマスをどうするか、悩みの相談よ。
オケのことだからパパに相談できない。
十二月二十二日はオケの忘年会で話ができないし、
いろいろと相談したいことがたまったの」
目撃の日、もし二人が既に肉体関係があればコトとなる。
二十時から二十四時の疑惑の四時間、妻は飲んでいたのは事実で、酔っていた。
飲めば二時間以上は飲む。
二十三時はどこから電話したのか?
十五年も一緒にいる。顔や気配でわかる。
以心伝心だ。嘘をついているのがわかる。
妻の特徴的なトイレットペーパーの取り出し音を聞き分けられる。
タバコの吸殻の形質で妻が吸ったのだとわかる。
髪のうなじの匂いで妻なのかわかる。
マクラを嗅ぐだけで妻が寝ていたとわかる。
妻がトイレを我慢している。腰の雰囲気でわかってしまう。
「はやくトイレに行きなよ」と僕が言うと、
「わかる?行ってくるね」とかけだす妻がいた。
僕はコキュになったのだろうか。
一月二十三日
疑惑の調査を行った。
目撃の十二月二十六日は山手線大塚駅で待ち合わせして
「寿し常」で飲んだという。現場に行ってみた。
マサの名刺から海浜幕張に勤めている。
時刻表から推定すると、仕事が終わって十九時十九分発に乗れば、
二十時に十七分大塚駅に着く。
大塚駅での待ち合わせは二十時半過ぎだろう。妻の証言通りの時間だ。
二十三時前に自宅に帰ると僕に電話した。
二十二時半に店のオーダーストップだと妻が言っていた。
「寿し常」に行き、店の人にたずねて確認したら、間違いなかった。
店内を見渡して、妻が電話したのはどこだろうと思った。
静かな音を思い出してどのあたりか探った。
二階で飲んだのだろう。
なぜか妻が電話する情景が浮かんだ。
大塚駅のはずれの空蝉橋にあるラブホテルが気になった。
目撃の日に二人を最初に発見した場所。
二人は腕を組んで小路から現れた。
小路の先には空蝉橋があった。
妻の証言によると、キスは公園だという。
公園で友人に電話したという。
友人が母を亡くし、兄だけになったのを不憫に思い、
今夜は線香をあげられなかったと、妻は涙を流したという。
妻がマサの前で涙を見せた。キスになった理由のようだ。
確かに帰って来た妻は泣きはらしていたし、酔ってもいた。
僕はマサの前に立ちふさがり凝視した。
マサも千鳥足状態にあった。
酔っていたので店に入って飲んだのは確かだろう。
約二時間は飲んでいてもおかしくないだろう。
店から歩いて二十分もしないで帰れるのに、
帰ると電話した。残りの約一時間はなにをしていたのだろう。
二人は酔っていた。酔い覚ましに散歩したのだろうか?
友人宅に線香をあげに行く外出なので酒臭い帰宅ではすまされない。
自宅に戻ったのが二十四時前だ。
二人は自宅周辺を約一時間、何周もしているのだろうか。
友人宅からの帰宅時間は約一時間を要する。
妻の目撃日の行動は謎のままだ。
愛の行為をするなら妻はラブホテルでなくてシティーホテルを選ぶだろう。
妻が大塚のシティホテルに泊まると言ったのを思い出した。
長女と喧嘩した。長女とは一緒に暮らしたくないと妻は言った。
不倫などありえないと思った頃だった。
マサとの愛の行為をするのにうってつけだ。
長女は妻を追いかけて妻と二人でホテルに泊まった。
妻の不倫を長女は詮索していた。
長女は僕より先に不倫妻になった母を心配していたのだ。
僕は大塚駅前のシティホテルのロビーに入り、
何か感じるものがあるかと思った。何もなかった。
何度もマサとホテルのベッドに沈む関係なら、
地元のホテルを利用するだろうか?
一月二十四日
妻は、二度とマサとは連絡をとらないと誓った。
だからオケの活動を許したのだが、
何度もマサに電話していた。
マサと会っているという妄想が、頭の中をフラッシュバックする。
二人が自宅の周辺を回っていた光景と交錯する。
肉体関係はあったと思う。マサが、しつこく誘ったのだろう。
一月二十五日(金)
夜、飲み過ぎて、酔いに任せて妻に詰問した。
「関係したんだろう。正直に言ってくれよ」
「あの人は、せまらなかった。だから会っていたの」
「家に呼ぶなんて、最低だよ」
「わたしはじゃじゃ馬だと思われているの。
家の中は荒れ放題だと思われているの。
だから、家の中を見せてやりたかったのよ」
妻の異常なほどの綺麗好きに、マサは驚いたと思う。
妻はマサからじゃじゃ馬、お転婆で、家事なんかできそうにもないと揶揄されていた。
家事をこなしていると証明したかったのかもしれない。
妻の若い頃の写真を見ると不良だ。
親戚から二十代の妻の話を聞くと
家事なんかできそうもないと思われている。
男兄弟の中で育った。男まさりの女性だ。
タバコや酒などは男性並みに嗜む。無口な女性だった。
妻は言った。
「ねえ、お互い、家を恋愛事に使うのはルール違反よ。
それだけは守って」
矛盾する自分勝手なルールだと僕は思った。
一月二十六日(土)
裏切られた怒りや失望は、妻とのコトで解消されそうで、解消されそうもない。
怒りが爆発しそうで爆発しないのは、母のおかげだ。
毎日のように相談して、妻の愚痴も聞いてもらっている。
聞いてもらうだけで落ち着いた。
母は言う。年齢からして再婚は難しい。
絶対離婚するな。
僕も思う。再婚は難しいので妻と妥協していこう。
妻が離婚すると言っても絶対に離婚しないと居直ろう。
一月二十七日(日)
オケの練習から夕方帰ってきた。
妻は練習後に飲みに行かないという約束を撤回したいと言ってきた。
練習後に酒を飲まないのが辛いようだ。
妻は言った。
「月に一回は飲みに行く。マサと仲良くするのが、どこが悪いんだ」
僕はそれを聞いて、頭の拳銃に怒りの銃弾を込めていった。
一月二十八日(月)
昨夜からの怒りの銃弾の詰め込みは終わった。
撃たないと、次の銃弾がこぼれてくる。
銃弾は妻へのメールとなって発射された。
「今日までにわかった事項
一.貴方は浮気する女性
二.酒が好きで、飲むと、男がほしくなる。
三.私への不満を、他の男に求めて解消する。
四.夫に対して、簡単に嘘をつく。
五.私との約束を破ってマサと会っている。
マサとの接触はしないでください。
破った場合は、オケの人たちに不倫の事実を暴露します。
親戚に公表する。
マサを損害賠償で訴える。
マサの奥さんに不倫の件を伝えます」
メールを読んだ妻が「離婚よ!」と、
帰宅した僕を待ち受けて言い放った。
離婚よと言った妻に対して
「僕は、離婚はしない、絶対しない」と言った。
妻は意外な顔をしていた。
「怒ったなら、謝るよ。ごめん」と、深々と頭を下げた。
「まったくプライドがない人ね」と妻に言われた。
離婚すれば暴露されて妻の方に立場がないが、
母の言う通りにした。
土下座して謝れと言われれば土下座しただろう。
悪いとは思っていないが、相手の怒りを静めるにはひたすら謝る。
プライドは僕の中にある。土下座は謝罪の手段である。
土下座で僕のプライドはなくならない。
妻の管理ができずに不倫された。
僕のプライドは傷ついた。
管理不行き届きだと思われ、
オケのメンバーに笑われているだろう。
妻は家を出て行くかと思ったが、出て行きそうもない。
いつもの無口の妻に戻った。
二十時頃だろうか、母から電話があった。
メールした件を妻は母に報告していたのだ。
母が心配で上京するというので、来ないでいいと言った。
妻が自分の思いどおりに外で飲んで男と親しくしたい。
要求が通らないと離婚という。
就寝前だったと思う。妻が言った。
「今後浮気はしないとは約束できない」
よほどメールが癪にさわったようで僕に毒を吐いた。
妻が離婚しない理由を考えた。
住んでいる新築マンションが気に入っている。
上池袋のマンションにマサを呼んだのは自慢したかったのだろうか。
女性は家に居つくという。夫より住居が一番。
車もある。妻は僕よりドライブが好きだ。
猫を二匹も飼って、娘二人、稽古用のピアノとレッスンのできる部屋。
弟の子供二人と同居している実家には帰れない。
逃げ場がないのだ。
離婚すればオケで僕に爆弾発言をされてオケにいられなくなる可能性がある。
十五年の結婚生活での情の重みもあるだろう、
マサの一件がなければ喧嘩などありえない。
妻が意外な発言をした。
「私が離婚したら、パパは死ぬわ」
確かに死のうと思った。心の中で妻を殺して乗り越えた。
もう僕の愛する妻はいないのだ。
一月二十九日
十四時に妻と桜木町駅で待ち合わせした。
妻は絵画が好きだ。
横浜美術館に行くというので付き合った。
美術館の前に遅いランチをして、
コーヒーを飲みながら条件交渉となる。
オケに行った後に飲みに行きたいと妻は言う。
昨日の離婚発言で、僕は飲みに行くのを了解するしかなかった。
美術館に入り、ひととおり観てまわる。
妻と美術館に入ったのは、思えばイタリア旅行以来だった。
妻は外出すると道草するのが好きだ。
Bのバイオリン工房に立ち寄る。
オケでは弟のような存在のBで、
コンマス候補と認める腕だそうだ。
口ひげをはやし気難しい顔をしていてバイオリンを製作していた。
特注の左手用のバイオリンがあった。
妻が器用に左手でバイオリンを弾いた。
僕とBは十秒も口を開いたままだった。
帰って家事を手伝った。
離婚後の生活と、今の妥協の生活を比較した。
どうみても妥協の生活がいい。
母は霊感がある。父も従っていた。
先が読めるのだ。僕は母の離婚するなに従った。
マサ以外では、なにも問題のない妻だった。
妻に寄り添い、離婚をなるべく遅らせる。
母に電話すると、母は妻について述べた。
「さびしがっとるよ。その男は十七年前に交際していた人。
あなたと違って癒し系タイプたい」と言った。
妻が僕を好きではないのは理解した。
妻の冷たい態度は、目撃以前から見受けられた。
僕の中で妻への思いは崩れて行った。
みせかけの思いやりでつなぎとめている。
心で殺した妻を失うのがこわいのだ。心はもう冷め出している。
今すぐの離婚じゃなく徐々に離陸できるようにしよう。
妻が外へ出ているときは家事を手伝い。
娘たちのめんどうも無関心だったが、みないといけない。
僕は救われた点もあった。
妻に寄り添いサポートすると決意しておきながら、
矛盾する考えだが、妻から解放されたのだ。
妻に対しての夫としての責任を感じなくてよくなった。
僕が失業しても妻に済まないと思う必要はない。
がんばって仕事をしなくていいと思った。
皮肉にも仕事は順調だった。
責任がなくなり随分軽くなった。夫として妻を守る必要がない。
なにをしようと自由だ。
僕に愛人ができたら円満に離婚できる。
裏切った妻には、なにひとつ文句が言えないのだ。
「君は結婚式のときに教会で宣誓した誓いを破った。
結婚を破綻させたのは君だ」と言われても妻は反論できなかった。
一月三十日
出社前に、話し合った。
離婚したら僕が出ていってもらう予定だったそうだ。
オケとして皆でやっていくためには、飲み会の付き合いが大切なのはわかった。
僕が帰宅すると、妻が東京フィルの演奏を芸術劇場に聞きに行くというので、
予定ではなかったが同行した。
劇場に入ると、妻は双眼鏡で憧れのオケのトレーナーでもある、
コンマスのNをしきりに見ていた。
男好きにはあきれてしまったが、母が言ったのを思い出した。
妻は恋愛体質、恋をしていたいタイプなのだ。
妻は「今の貴方は前の貴方とは変わってしまい、
なんだか別の人のようだ」と言った。
妻に寄り添いすぎかもしれない。
一月三十一日
母とは毎日のように電話している。
悔いが残らないように妻に寄り添い、話をじっくり聞きなさい。
今年一年は頑張れと母から助言をもらった。
妻が言った。マサとはタイムスリップしてしまった。
なぜキスぐらいが悪いのか?
マサと結婚しなかったのは、家庭が複雑で厳格で、
嫁に行くと苦労するからだと言った。