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##02 子宮縛りの名医

2 子宮縛りの名医


五月、僕たちは子どもを失った。妻の体調が落ち着いたのは八月に入ってからだった。二人で気分転換に好きな京都へ行こうと決め、東京から自家用車で出かけた三泊の旅だった。京都の八月は暑いはずだったが、不思議と暑さを感じる思い出はない。ただ、穏やかな時間が心に残っている。


名所をいくつか巡る中でも、大原三千院の苔むした庭園はひときわ美しかった。静寂の中で、深い緑が包み込む庭園が目の前に広がる。まるで、そこに息づく生命が僕たちを迎え入れてくれているかのようだった。僕の嫌いな車の運転も、妻が率先して引き受けてくれた。彼女は運転が好きで、旅行中の六割は彼女がハンドルを握っていた。僕たちにとってこの旅行は、ただの観光ではなく、どこか再生のための儀式のように感じられた。


「場所を変えれば、子宝に恵まれるかもしれないわね」と、冗談めかして妻がつぶやいた。その言葉は、どこか願いを込めたもののようにも聞こえた。


不思議なことに、秋が深まる頃、妻は再び妊娠していることが分かった。女の体とは不思議なもので、産後や流産後は妊娠しやすいと言われているが、まさにその通りだった。しかし、その喜びに影を落とすのは、昨年の辛い経験だった。お腹が膨らむたびに、妻の心には流産の不安が広がっていた。


妻は少しの外出でも僕の付き添いを求めるようになり、僕もできる限り彼女を支えた。だが、ある日、平らな舗装道を歩いていると、ほんの少しの砂利が妻の足元をすくった。妻はバランスを崩し、尻餅をついてしまった。その瞬間、彼女は子どもを守るために身を縮め、体を庇っていた。


その場で妻は泣き出し、僕も慌てて手を差し伸べると、彼女はその手を強く握りしめて僕にしがみついた。いつもはクールで、どこか自立している彼女が、初めて心の内をさらけ出した瞬間だった。家に戻り、彼女の様子を確認したが、出血などはなく安堵した。しかし、その出来事を通して、僕たち二人の絆がより一層深まった気がした。


あの京都の苔の庭園が、僕たちに静かに囁いていたように感じる。「あなたたちの未来に、新しい命の芽吹きを祝福します」と。


妻が入院したのは、石川医院という小さな病院だった。そこには流産予防の施術で名を馳せた女医がいて、多くの女性たちがその医術を頼りに訪れていた。僕たちの自宅からは歩いてわずか七分ほどの距離。大塚駅北口を出て、左に少し進むと、ひっそりとした一角にその医院はあった。


医院のある場所は、どこか世間から隔絶されたような雰囲気だった。高架橋の影が覆う「空蝉橋」の下で、古びたコンクリートの建物が隠れるように佇んでいる。近くにはいくつかのラブホテルが並び、賑やかとは言えないその一角で、石川医院はまるで時の流れから切り離された場所のように感じられた。三階建ての古びた医院の中にある病室は数が少なく、十もない。妻のように子宮の悩みを抱える女性たちで満床だった。


僕はその頃、毎日自転車で通勤していて、会社までは自宅から十五分程度で行ける後楽園にあった。午前と午後、妻に会うために必ず二回、石川医院を訪れた。昼休みには、妻の好きなパンやモスバーガーを買っていき、ベッドの隣で一緒に食事をとった。病院の食事もあったが、妻は食欲があって、僕が持っていく外の味を喜んでいた。


ある夜、妻が笑いながら言った。「隣のラブホテルから声が聞こえるのよ」。小さな病院の壁一つ隔てた先で響く笑い声や囁き声、それに時折混じる微かな振動――そんな微細な音たちは、彼女の夜の静寂をわずかに侵していたのかもしれない。だが、彼女はそれを不快に思っているわけではなく、むしろ他人事のように楽しげだった。それは、僕たちにとっても、どこか張りつめた時間の中の小さな緩衝材のように感じられた。


病院までの道を何度も行き来しながら、僕の心はただ、彼女の無事を祈るばかりだった。

会社と病院は都道四三六号線という道路でつながっていた。

仕事を終えると四三六号線の文京区側千川通りを進む、

右に小石川植物園があり他には小さな印刷屋が立ち並んでいた。

千石三丁目交差点を越えると南大塚側はプラタナス通りと呼ばれる。

大塚駅に着くと都電の線路を横切った。

大塚駅北口のロータリーに出て病院へ行った。

大塚駅付近には小説『ノルウェイの森』で緑の住む書店があった。

入院といっても健康体の妻だ。

夜の差し入れは松屋かケンタッキーでサラダ。

大塚駅のコージーコーナーでケーキや牛スジ肉が子宮にいいというので、おでん種にした。

たまには、すじ肉をじっくり煮込んで持って行った。

家では家事と猫の世話を行う日々が続きマンションに住む住人から苦情を受けた。

猫のトイレで使う紙砂がドア経由で廊下にお邪魔していたからだ。

妊娠期間は十月十日という。

月は昔の「数え」で計算するので、正確には九ヶ月と十日になる。

出産予定の五月になった。

昨年の魔の流産の五月六日を迎えた夕方だった。

妻は異常に興奮していた。

僕の手を取って抱きついて来た。

妻の手は震えている。

異常な状態を石川女医に知らせた。

診てもらうと手術しなければならないと言われた。


石川女医は帝王切開すると言う。

なぜ帝王切開するのか疑問があった。

子宮は縛ってある。正確には卵管が縛られている。

細径のチューブのような硬いもので縛られていて手でさわるとわかる。

子宮縛りは腹を切らずにすべてを腟からの操作で行う手術のようで卵管術というらしい。

縛ったチューブを取れば赤ちゃんは出てくるはず。

卵管術を断念して手術になったので出産に立ち会えなかった。

帝王切開で女の子が生まれた。

同時に手のこぶしほどあった肉の塊を見せられた。

子宮筋腫だった。

昨年の流産の原因でもあるらしい。

母乳はなんと皮肉なのだろう。

帝王切開で産道を通っていないので母乳が出なかった。

妻の心は複雑だったに違いない。

母乳を飲ませたかったのだと思う。

赤ん坊はミユキのよみがえりだと思った。

昨年の五月六日の夜中にミユキを流産して一年違うが

翌日の五月七日に生まれたのだ。

誕生日に七がからむ因縁の数字のようだ。

僕は七月七日、父は二月七日、母は七月三十一日、

妻は七月十六日、義理の父母も七がからんでいたからだ。

妻のお腹には、正中線にミシンの縫い目のような手術跡が残った。

「これは女の勲章よ」と妻は言った。

僕は妊娠線がお腹にできるのを知った。


娘が産まれて妻を「ママ」と呼ぶようになった。

僕は「パパ」と呼ばれた。

妻は赤ん坊を「ハンコよ。私の判子みたいなものよ。

ミユキの生まれ変わり」と言っていた。

熟睡できない魔の嵐のクライ・ベイビー・クライの期間が始まった。

赤ん坊に深夜も未明もないのだ。

泣き出したら起きて対応するしかない。

長女が便秘になって深夜にミルクに混ぜる便秘薬のマルツエキスを探しに

巣鴨から池袋まで車で探しまわった。

長女は哺乳瓶を片手で持ち、片足を曲げた膝で瓶を固定させて飲む。

いかにも生意気そうに飲んでいる。

性格は持って生まれてくるようだ。

僕に似た頑固一徹さは飲む態度でわかった。


妻は僕の妻から完全に母に変わってしまった。

朝はきちんと起きるようになった。

今まで僕のために一度も朝は起きなかった。教育ママになり亭主より娘に集中していく。

命がけで授かった子は妻には宝だったのだろう。



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