すれ違いの元祖「めぐり逢い」「私を好きならば、何も聞かずに、わかってほしい」
以下のブログでは、写真つきで掲載しています。
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映画「めぐり逢い」を村上春樹氏の「ノルウェイの森」風に。
僕はミドリと暮らしていた。
「めぐり逢い」のDVDを観て、涙が津波のようにあふれ出てきた。
ミドリが部屋に入ってきて言った。
「そんなに泣ける映画?」
「『めぐり逢い』だよ」
「タイトルは有名だけど観たことない。
古い映画よね。
メグライアンの『めぐり逢えたら』を観たら、
奥さんが『めぐり逢い』のシーンを語って、
大泣きしていた。
あれはなんなの?
数えたら五つも『めぐり逢い』のシーンがでてきて、
アメリカでは人気があった作品だったことが理解できた」
「『めぐり逢えたら』は
『めぐり逢い』のオマージュ映画で、
他にもオマージュ作品がある。
『めぐり逢い』は公開当時、大勢の女性が泣いた。
他のオマージュ映画でも『めぐり逢い』で
観客が泣いているシーンがある。
『逢いたくて』というフランス映画でも、フランス女性が泣いている。
女性泣かせの映画だが、僕も最後のシーンは大泣きしてしまう」
「私が観ても泣ける?」
「悲恋じゃなくてハッピーエンドだけど
ミドリは泣かないだろう。
イライラするかもしれない。
作品は恋愛映画の古典だし、
すれ違いの元祖、完全なメロドラマだ。
監督脚本は泣かせ上手のレオ・マッケリーだ」
「レオ・マッケリーっと」
ミドリはパソコンに入力してネットで検索した。
「聞いてる?」
邂逅とパソコンの画面に出てきた。
「聞いているわよ、難しい漢字がでてきた」
僕はパソコンの画面をのぞいた。
「それで『めぐりあい』と読むんだ」
「邂逅、
出演シャルル・ボワイエ、アイリーン・ダン、
1939年作品。
古いわね」 とミドリは言った。
「確かに古い。ヨドナガ(淀川長治)さんが選んだ名画100選に入る。
ヨドナガさんの作品評価は
メロドラマではなくて非常に上品な美しい作品。
レオ・マッケリーは『我が道を往く』とか
『東京物語』の原点となる『明日は来らず』など
奥ゆかしさと謙譲さで泣かせる監督だ。
『邂逅』は、レオ・マッケリーにとって思い入れの深い作品なんだろう。
18年後にケリーグラント、デボラカーで
『めぐり逢い』としてリメークしている。
作品では、それが一番の、おススメだ」
「母も泣いたって言っていたわ」
と思い出したようにミドリが言った。
「1957年のリメークの方が同じ監督なので、
ラブコメ要素を入れてカラーだし、まとまった作品になっている。
それにケリーグラント、デボラカーの息が合っている」
「めぐり逢いのタイトルのつく映画は多いよね」
「1994年にまたリメークされた。
グレン・ゴードン・キャロン監督の『めぐり逢い』
ウォーレン・ビーティとアネット・ベニングだけど。
ピントこなかった。
これを最初に観ない方がいい。
あとで比較するのはいいけど」
「なぜ泣けるの?」
「あれは主人公テリーの女の意地だね。
健気だとも言える。
古くは『椿姫』に通じるものがある。
僕はパブロフの法則になってしまって、
『めぐり逢い』の最後のシーンになると自動的に泣けてしまうんだ」
ミドリは黙って聞いていた。
「二人は船でめぐり逢うが、お互いに婚約者がいた。
それで半年後に、天国に近い場所
で会う約束をするんだ。
約束の日に彼女は、こなかった。
こんな時に携帯電話があればいいのだが。
男はフラレタと思った。
失意のうちにアメリカを去ろうとする」
「彼女を探そうとしないの?」
「あきらめが、はやいのだろう。僕みたいだ」
「でもなんで、彼女は行けなかったんだっけ?」
「それはちょっと待って、最後に話すから。
男は画家で、彼女の絵を描いた。
アメリカを去ろうとする頃、偶然に劇場で彼女と再会してしまう。
お互いに異性の友人がいっしょだった。
彼女は椅子に座ったままで、男にハローと言うだけだった」
「『めぐり逢えたら』でも、
この場面、女性が泣き出していた」
「有名なハローとしか言えないシーンだ。
男は悩んだ。
もう忘れようとしていたのに。
決意してアメリカを去る日に、彼女に逢いに行った。
どうしても、彼女がこなかったか理由が知りたかった」
「それはわかる」
「彼女の家に訪問するところから
最後のシーンが始まる。
そこからの二人の会話は、
ほとんど覚えている」
「またウルウルしてきたね」
「だからパブロフの法則なんだよ。
映画『めぐり逢えたら』に出てくる奥さんと同じさ」
「それでどうなるの?」
「男は間接的に聞こうとする。
あの日僕は行けなかったけど、待った?ってね。
しかし彼女は行けなかった理由を
聞かないでと拒否するんだ。
その間、彼女はずっとソファーに横になって、
足は毛布で隠している」
「へんね、ずっとソファーに横になって話しているの?」
「彼女の態度に不思議に思うが、追及しない。
彼も強引な性格じゃないんだ。
それで、あきらめて帰ろうとする。
その時彼女は目で訴えているんだよ。
行かないでとね。
行けなかった理由は言えないけど、
あなたのことを愛している。
わかってほしいとね。
でも男にはわからず、去ろうとドアに近づいた時に、
思い出したように言う。
『君の絵を描いた。
だが僕には必要ないので、
その絵を絶賛した若い女性がいると、
画商が言うので、無料で、女性に進呈した』
これは男の最後の捨てぜりふだね。
『画商が言うには、
彼女は、金持ちでもなさそうだし、
まして彼女の足は・・・』
と言おうとして、
男はハットするんだ」
僕は再び涙がでてきてしまった。
ミドリはあきれた顔で僕をみている。
「泣いているの?」とミドリがハンカチを差し出した。
「男はその絵を探しに彼女の家をウロウロして、
隣の部屋で発見するんだ。
泣ける、たまらないね」
「つまり、彼女は交通事故で歩けなくなっているのね。
なんか、そこは有名よね」
「男は彼女のところへ行って、じっと見るんだ。
彼女は、そんな目でみないでと言って、
待ち合わせの日は上ばかり、つまり天国に近い所ばかり見ていたと言うんだ」
「そしてハッピーエンドね」
「思い出した。
昔その話しをした時に、
ミドリは、そんな女性は、いないと言ったね」
「はっきりと言うわ。
自分が事故になって歩けない。
でも、リハビリ次第では歩ける可能性があると。
大半の女性は、そう言うわ」
「このような女性は稀だろうね。
アメリカ人で、そんなタイプの女性はいないよね。
そこがアメリカでもフランスでも大うけする理由だろう。
何も言えないが、わかってほしい。
そう、女性って、私を好きならば、
何も聞かずにわかってほしいと思う」
「男もそうよ。
とにかく、『めぐり逢い』の女性は、稀なタイプなの。
だから感動しない女性もいるんじゃない」
「そうかもしれない。
最近なぜか忠臣蔵で泣けるシーンに
似ていることを発見したんだ」
「ちょっと飛びすぎじゃない」
「つまり何も言えないけど、わかってほしいだよ。
忠臣蔵では、いくつもそのようなシーンがあるんだけど。
大石内蔵助が故主君の奥方に最後の別れに行く場面だ。
奥方はいよいよ仇討ちをしてくれるために、
最後の挨拶に来たと思う。
本当はそうなんだけど、
奥方の周りにはスパイが聞き耳を立てている。
大石は郷里に帰るので別れの挨拶にきたと言う。
奥方は、仇討ちしないと知ると大石をけなすんだ。
大石はじっと我慢する。
彼が去った後に手紙か何かで、
仇討ちすることを奥方が知るんだ。
ここは泣ける」