その30 公明が携帯をトイレに流した
その30 公明が携帯をトイレに流した
へルプデスクの仕事には他社から紹介された要員も投入したが、
中に奇妙な男がいた。
男は客のクレーム電話に出ないで
パソコンを使いネットにつないで遊んでいる。
マネージャーは「君は明日からこなくてよい」と告げた。
しかし翌日また男は出社して、
不気味な笑みを浮かべながらネットに没頭しているのだ。
僕は男を紹介した飯田橋にある会社へクレームに行った。
応対した社長兼営業の男は、ひたすら謝罪した。
「どうして地雷とわからなかったのですか」
と声を荒らげてたずねた。
「申し訳ありません。まだ入社したばかりで、
これからと思っていたら、
今回の仕事がすぐ決まったもので」
「性格テストとかするでしょう」
「いや、ウチはしません」
地雷男と面談した時を思い出した。目がすわっていたのだ。
眼の焦点が別の一点に集中していて魚の目のようだった。
気にはなっていたが、売上に目がくらんだ。
質問すると、
普通に会話はできるので地雷とは思わなかった。
飯田橋の会社に尋ねても何も問題ないと言うので、
言葉を信じてしまった。
ポイントは瞳孔、眼の輝きだ。
この男のおかげで見抜くポイントをつかんだが、もう遅い。
地雷が炸裂した。
ドミノ倒しのように、
ネック社ヘルプデスク部隊は壊滅した。
投入した部隊は10名を超えた頃だった。
紹介した全員が契約を打ち切られた。
つまり公明、宮本らラクシュミのメンバーも
全員返されたのだ。
戻った公明らの次の仕事先を見つけるのに奔走した。
後悔したのは、公明の次の仕事だった。
ヘルプデスクではなかった。
以前、嫌でやめたコンピュータ開発の仕事に就かせてしまった。
公明には、ラクシュミのために自己犠牲をさせてしまった。
公明は約一年プログラマーを経験していた。
出会いは僕がトライアルで入社した会社だった。
プログラマーは向かないと退社する直前だった。
公明がツカサを紹介した時を思い出した。
「公明君は今、何やってんだ?」
「データ入力です」
「やはり、それが向いているか?」
「考えることが少ないので、頭が痛くなりません」
「そうか、プログラミングは頭が痛くなるのか。
たしかに不向きな人には残酷だよな。
プログラムが完成するまでは帰れないからな」
プログラムは頑張ったからと、努力のプロセスで誉められ、
認められるものではない。
プログラムが稼動しない限り、
仕事の価値はゼロでしかない。
プログラミングは作家の書く作業と
同じように思えることがある。
誰にも助けてもらえることのない孤独な作業なのだ。
その苦しさは痛いほどわかる。
かならずバグ(ミス)が出る。
コンピュータにはかなわないのだ。
公明の次の仕事はヘルプデスクから、
開発系の仕事になった。
公明が技術者になればラクシュミは安泰になる。
ラクシュミは技術者見習いばかりで、
ベテランはツカサだけ。
公明は他の誰よりも自分がラクシュミではベテランだと自覚していて、
新宿の高層ビルにある携帯電話会社の運用開発の仕事に就いた。
常駐して半年が過ぎた頃だった。
携帯電話が鳴った。
公明を常駐させている会社の原石からだ。
「公明がおかしい」と原石は言った。
「どうしたんですか?」
「現場で壁に向かって叫んでいる・・・」
即座に現場へむかった。
公明が常駐している新宿高層ビル付近の喫茶店で
僕は公明と原石と座っていた。
原石が隣に座った公明に対して言った。
「もう現場に行かなくていい」
「いえ、それは・・・」
公明は承知しない顔をしていて、
席を立って外へ出ようとする。
「いいから。座れ」と原石は公明をおさえた。
僕はいったい何が起こっているのかわからなかった。
「現場に戻らなければ・・・」
と再び公明が席を立とうとすると、
「いっしょにおさえてくれ」と原石が僕に命じた。
公明は病院に行くことになった。病名はウツであった。
公明は仕事をやめて自宅静養となった。
一時的な過度の緊張からきたものらしく、
半年通院して完全に回復したようだが、
もうITの仕事に戻ることはなかった。
宮本の葬儀で公明に会った。
「新宿の喫茶店でのことを思い出すよ」
「僕はそれがあまり覚えていないのですよ」
「携帯電話を大塚駅のトイレに流したこともか?」
「はい。
覚えているのは薬を飲むと体がだるくなったことです」
「あの薬か。最近は飲んでいる技術者が多いから。
よくその症状を聞くよ。飲むとトロンとして何もしたくなくなるし、
無性に眠くなるそうだな」
「なんとも言えない薬です」
公明は古傷にふれられたくないのでとぼけているのか、
本当に覚えていないのかわからなかった。
僕の脳裏に携帯電話をトイレに流す光景が浮かんだ。