その14 初めての営業
会社は、茨木県に本社がある「イーストジャパン」だった。
社員数は約千名。支社が10以上あった。
日立系のシステム開発を受託して業績を伸ばした。
社長はソフトバンクのソンさんのように最初は二人から始めたと言う。
東北ではトップクラスのシステム会社だ。
2年前に念願の東京進出を果たし、
3年目を迎えたばかりの神保町にある東京事業所に着任した。
東京事業所での僕のタイトルは営業部長だった。
所長と女性事務員1名、技術者が5名いた。
茨城県にいる優秀な技術者は東京事業所の仕事を手伝わない。
技術者5名は東京で新規採用していた。
所長は60歳代で、生命保険会社からの転職だった。
業績があがらないために、所長を解雇するために、
社長は事務員に所長の日々の行動を報告するように命じていた。
事務員は、密告のようで嫌だと、僕にぼやいていた。
噂では、所長は離婚していた。
韓国人の愛人がいて、愛人が事業所に来たらしい。
生命保険会社では所長はセールスレディの管理をしていた。
所長の経験はシステムの会社では役に立たない。
所長も売上を上げなければならないために、苦戦をしていた。
システムの専門用語がわかるはずもなく、
大手システム会社が必要とする技術者を紹介するのは難しい。
技術者の紹介は、野球で言うとスカウトのようなもので、
システム開発の経験者でなければ、技術者の紹介はできない。