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その9 稲田電機
信夫は稲田電機で専務になっていく。
僕が思うに、三池高校の同級生がお客になったからだろう。
幼年時代に苦労したので、決して横柄じゃなくて、
腰が低かった。家には常に新製品の家電がやってきた。
新製品の使い方を自ら勉強していたのだ。
有明町に本社があった。
太陽館の前に新たに大正町店を作った。
信夫は大正町店のトップになり、栄町にもオーディオ部をつくった。稲田電機は他に、明治町店、銀座店、四ツ山店、三池店、大川店、柳川店、長洲店、玉名店があった。
久留米に店はあったが、撤退して大牟田周辺に集中した。
酒は飲まず、麻雀と野球が好きだった。
ライオンズファンで、スコアブックをつけていた。
野球は球場に行かずにラジオ観戦だった。
社長の子息が二代目を継ぐと、信夫は50歳代の若さで引退して年金暮らしを始めた。