その8 石藏家
石藏家の話
「信夫さんは子供時代に苦労しなんさった」
と母が、再婚した信夫について話し始めた。
毎年同じ話だが、新たな話も混在する。
石蔵家は播磨国(現在の姫路)の石蔵村の出身で、
黒田官兵衛に仕えて、黒田家の御用商人であった。
関ヶ原の戦いでの功績により、黒田官兵衛・長政親子が筑前福岡藩主の命を受けた際、
石蔵屋も帯同して博多入りし、博多商人としての歴史が始まる。
江戸時代の石蔵屋は、主に博多~壱岐・対馬間の廻船問屋(海運業)を営んでおり、
江戸時代後期になり酒造業にも参入した。
幕末維新の際には、福岡藩の加藤司書、長州藩の高杉晋作、
薩摩藩の西郷隆盛との密約の場として奥座敷を提供した。
菩提寺は「萬行寺」で博多区祇園町にある。
石藏家は三家に分かれ、長男が酒屋、次男が秤商人になる。
三男は忘れた。
秤商人の末裔・石藏惣次郎は子宝に恵まれなかった。
黒田藩の武士だった小川家からタキを養女にする。
タキを結婚させるために大庭和三を養子にする。
和三とタキの間に生まれたのが信夫だった。
問題が起こる。 問題の詳細は封印したい。
石藏惣次郎はタキと和三を離婚させる。
和三を除籍してしまう。
あらたにタキは小島克基と再婚した。
克基は信夫を養子にしなかった。
克基とタキの間に二男三女が生まれた。
家の中で疎外感のある信夫は三池高校を卒業して
福岡の大学へ進学した。
信夫は不運だった。
受験した長崎大学の医学部に合格していたが、
電報屋に頼んで、自ら確認に行かなかった。
合格電報がこないので、福岡の大学に行ったのだ。
あとで同級生から合格していたと知らされた。
信夫は結核になり、長期病棟となる。
退院後、人生に目標がなく自堕落な20歳代だったと、
僕に話した。
大川市の女性と結婚して長男をもうけるが二年で離婚。
稲田電気に勤務した。