その7 カブト煮
スーパートライアルからの帰りに、僕は母に言った。
「おふくろ! レジに好きな顔の女性がいたたい」
「どんな子ね?」
「黒木瞳そっくり」
「ああ、あの顔は、筑後に、多か顔たい」
「別に顔を見ているだけでよかとよ」
「今度みとくたい。私も素敵な人がダンスの会にいるたい」
恋愛談義がはじまる。母の好きだった男性の話は面白い。
僕の恋愛した女性の評価も始まる。
僕は自己弁護ばかり。
帰宅すると、母は夕食の用意を始めた。
「私はあんたの年齢のちょっとしか一緒に暮らしておらん。
あんたの食べ物の好みがわからんたい」と昨日言った
のをくりかえす。
ひとつ覚えた僕の好物「鯛のカブト煮」を作り始めた。
「いつもはなかけど、今日はカブトが置いてあったたい」
夕食が終わると、母の機関銃が始まる。
80歳近くになるとリピート症候群になるのだろうか。
毎回同じ話を母は僕にする。
心理学者によると、加齢による記憶力の変化に関係しているそうだ。
「昔話は覚えているが、その話をさっきしたばかりであることは忘れてしまう」
お年寄りたちに「同じ話を何度もしないで」と言うと、
「同じ話をした」という記憶は残っていないにもかかわらず、
感情の動きを伴う「怒られた」という記憶は残りやすくなるそうだ。
お年寄りに「嫌な人」という印象だけを与えてしまうだけだそうだ。
僕は母の性格がわかっている。
母は同じ話だと思っていないのだ。
だから母のくりかえす同じ話の機関銃に撃たれるのが親孝行だと思っている。
おそらく好きな歌を何度も歌い、聴いてもらうのがここちよいのだろう。