母が僕を捨てなかった理由
父が失踪し、母は考えた。離婚して、再婚しようと。
僕はその頃、四歳だっただろう。
母は昼はデパートで働き、夜は酒場に立ち、さらに手に職をつけるため、洋裁学校にも通った。たしか、ドレメ(ドレメファッション学院)だったと思う。
そして僕は、母の再婚活動を目撃することになる。
僕を祖母に託し、自分だけさっさと他の男と結婚してしまうこともできただろうに——母はそうしなかった。
母は、自分の母を五歳のときに亡くしている。
長女だった母は、五人きょうだいの世話を早くから任され、やがてやって来た継母には育児を押しつけられ、まるでシンデレラのような少女期を過ごしたという。
だからこそ、人一倍、他人の面倒を見ることができたのかもしれない。
僕を祖母に預けることはあっても、完全に手放すようなことは、きっと母にはできなかったのだろう。
顔立ちはごく普通だったが、六星占術では金星人で、とにかく明るく、話上手だった。
女学校では首席だったようで、頭も良かった。
僕は、四歳か五歳にして、母をひとりの女性として静かに見つめていた。
いくつかの縁談が持ち上がるたびに、母は僕を連れて、再婚相手との「顔合わせ」のような場に出た。
相手の男たちは、僕の前で平気で母の肩を抱いた。ときに、すけべたっぷりの目つきで母の身体を眺めていた。
子どもながらに、僕は思った。「ああ、もしかしたら、僕はいらない存在なのかもしれない」と。
ここが、僕のフェイドアウトの原点だったように思う。
誰かとともにではなく、いつもひとりでしか生きていけない——そんな予感が、あの頃の僕に、すでにあったのかもしれない。
けれど僕は、そうした男たちに反抗するわけでもなく、かといって媚びることもなく、ただ静かに、母の選択を見守っていた。
感情を押し殺すのではなく、もともと感情というものが、どこか他人事のように遠かった。