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なんとんつくれん物語 母の機関銃


母の機関銃 

母との最後の正月の話をしよう。

僕が妻を亡くし、娘たちは成人して自立していった頃だ。

50歳代で仕事もやめて、ライフワーク三昧の日々を送っていた。

毎年年末だけは大牟田に帰省していた。

母は夫をなくした。

済生会病院は継父の終末ベッドだった。


大晦日に、僕は十八時過ぎに小浜町の実家に到着。

大牟田で、初めて鰻重を食べた。

福岡県では鰻めしは、セイロむしが一般的だ。

味が濃いので避けるようになった。


以前大牟田には「鰻重」があったのだろうか?

記憶にない。

めずらしいので大牟田の「鰻重」を注文する。


「山椒がない」

山椒のない鰻重は、僕にはありえない。

そう言えば大牟田では長芋も、ワサビでは食べない。


八十歳に近い母が機関銃のように話し出す。

もう何年も同じ話だ。

遺産相続での骨肉争いが母には許せないのだろう。

父方は異父兄弟。母方は異母兄弟。

両家ともにバトルとなり、遺恨となった。

母は、僕を「東京外人」と呼ぶ。

「あんたとは十八年しか一緒に暮らしとらん」とも言う。

母は夫を亡くし、一人暮らしである。

寂しい思いをするのは年末正月だという。

他の日は、誰かしら人が来るが、年末正月は誰も来ないと言う。

母の機関銃にただ撃たれるだけ。

聞き手に徹する。

僕のせめての親孝行だ。

母は長時間話し終わると二十三時を過ぎたので寝ると言う。

母は気づいたように言った。      

「今日は、そういえば、大晦日ね。ごめんね、年越しソバ」

「いいよ。蕎麦は毎日食べているから」






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