スタインベック
十一月十日
リョウコと、久々に池袋で待ち合わせして喫茶店をハシゴして話す。
電話では話しはしていたが、バイトが多忙で会えなかったと言った。
リョウコから頼まれた映画のセリフをメモしてきた、
セリフは映画「怒りの葡萄」だった。
「葡萄」とは、神の怒りによって踏み潰される「人間」を意味すると
解釈されている。
米文学を専攻するリョウコの研究テーマはスタインベックだった。
僕はリョウコに言った。
「スタインベックは、ヘミングウェイと共に、男の中の男のような感じがする。
『風と共に去りぬ』のマーガレット・ミッチェルが研究テーマじゃないんだね?」
リョウコは答えた。
「アメリカ文学の巨人と言われていて、西洋文学の古典なのよ」
「怒りの葡萄」は、三十年代のアメリカ大恐慌と大飢饉の話だ。
小作農民が土地を奪われて東部オクラホマからルート66を大移動して
カリフォルニアに難民として移動するが、カリフォルニアは安住ではなかった。
オクラホマ難民を「オーキー」と呼んだ。
僕は、リョウコに言った。
「映画『怒りの葡萄』でお気に入りのセリフをメモしてきたよ」
リョウコは読み聞かせてと言った。
僕は読み上げた。
おっかあは言った
「女は男より変わり身がはやいの。男は不器用でいちいち止まる。
ところが女は流れる川で、渦や滝もある。
あっても止まらずに流れる。
それが女の生き方よ」
「そうだな!大きな滝もあった」と、オヤジがこたえる。
「そうなの。それで強くなる。金持ちはだめ!
子供が弱いと死に絶える。
でも私たち民衆は違う。
死なない。しぶとく生きていく。
永遠に生きるのよ。民衆だから」