男の無償の愛 映画『サンセット大通り』
映画『サンセット大通り』(*Sunset Boulevard*, 1950年)における、マックス(元映画監督)によるノーマ・デズモンドへの「無償の愛」は、作品全体に漂う退廃と哀切の中で、最も痛ましく、深い人間性を感じさせる要素のひとつです。
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マックスの愛の形とは?
マックスは、かつてノーマ・デズモンドを銀幕のスターに育てた映画監督であり、現在は彼女の執事として彼女の屋敷に住み込み、彼女の幻想を支える裏方に徹しています。ノーマが自分をまだ大スターだと思い込んでいるのは、マックスがあえて真実を隠し、彼女宛てのファンレターを自分で書いて送っているからです。彼は彼女の夢を守るために、徹底して「現実」を排除し、彼女の孤独な虚構世界を維持しようとします。
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「無償の愛」とは何か?
ここで言う「無償の愛」とは、見返りを一切求めず、相手のためだけに献身する愛です。マックスの行動はまさにそれであり、愛する者が崩壊していく幻想の中でしか生きられなくなったことを理解しながら、それを否定せず、共に沈んでいくことを選んでいます。
彼はノーマの傍にい続け、彼女を孤独から守るために「偽り」を積み重ねます。そこには自己犠牲の極致があり、彼女の狂気の共犯者となることすら厭わないのです。
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なぜそこまでできるのか?
おそらく、彼の中には罪悪感と責任感、そしてかつてノーマに対して持っていた愛情が複雑に絡み合っているのでしょう。彼はノーマの転落を自分の過去と結びつけ、彼女を見捨てることが自分自身の終わりでもあると感じているのかもしれません。
この感情は、恋愛を超えた執念のようでもあり、家族的な情のようでもあり、あるいは人生における唯一の意味を彼女に見出してしまった結果とも考えられます。
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最後の場面との対比
映画のラストで、ノーマがついに現実と完全に断絶し、狂気に沈んでいく様子は衝撃的ですが、その場面を静かに支えるマックスの姿は、狂気の舞台の照明係のようでもあります。すべてが壊れた世界の中で、彼だけが自らの意志で、その崩壊を黙って見届けるのです。
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結論
マックスの無償の愛は、美しさよりも痛ましさに満ちています。それは他者の幻想を守るために自らの人生を捧げるという、ある種の「殉教」であり、愛が時に人をどこまで非合理に、自己犠牲的にさせるかを描いた稀有な例です。
彼の愛は、ノーマのように叫ばれることもなく、ジョーのように語られることもありません。ただ、そこに静かに、重く、存在し続けているのです。
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