早稲田大学の映研はアラブゲリラに
時代は小説「ノルウェイの森」と同じ頃。
18歳の僕は早稲田大学に進学した。
高校は福岡県立大牟田北高校といった。
僕は東京へ行きたかった。
親は福岡県大牟田市の親元にいてほしかった。
東京に行きたいと強く希望するので親と約束をした。
現役で受かれば東京の大学へ行ってよい。
東京の国立大学は落ちたが、運良く早稲田に受かった。
大学一年の四月、僕は大学のクラブは映画と音楽関係に入部しようと
大学のクラブ紹介案内書を持って映研の部室を探した。
高校にはなかった映画クラブにあこがれていた。
クラブ名は「早稲田大学映画研究会」と言った。
クラブは1918年創立。映画サークルの伝統と実績を持っていた。
広い構内を探し歩き、部室を見つけた。
部室には鍵がかかっていた。ドアには張り紙がしてあった。
<だたいま闘争中!>
横に「逃走中」と書いてあった。
あとで週刊誌で知ったが、 クラブのメンバーは過激派(赤軍派?)で 中近東へ逃走しているのであった。
映画制作を現地で行っているらしい。
田舎者の僕は週刊誌で起こっている現場を見た。
もし僕が1年早く生まれていたら、映研に入部できてアラブゲリラに巻き込まれたと思った。