夏目漱石とイスラム教(モハメット教)
夏目漱石とイスラム教(モハメット教)
漱石がイスラム教について関心を持ったのは、主にロンドン留学時代(1900年〜1902年)で、彼の「宗教一般に対する関心」の一部として研究されました。
調べた主な資料
漱石の蔵書や手紙などから、彼がイスラム教に関して具体的に参照した資料として、以下のものが知られています。
Thomas Carlyle の著作
特に『On Heroes, Hero-Worship, and The Heroic in History(英雄と英雄崇拝)』の「The Hero as Prophet. Mahomet: Islam(予言者としての英雄。マホメット:イスラム)」の章を読み込んでいます。
漱石はこのカーライルのマホメット観を通じて、英雄的な人物の精神性や歴史における役割といった側面からイスラム教に触れました。
Gibbon の著作
エドワード・ギボンの大著『The History of the Decline and Fall of the Roman Empire(ローマ帝国衰亡史)』には、イスラム教の勃興に関する記述が含まれており、漱石もこの部分を参照していたと考えられています。
その他、宗教史や比較宗教学に関する資料
漱石の留学時代の研究は広範な比較宗教学的視野を持っていたため、イスラム教をキリスト教などと比較する視点も持っていました。
作品への影響(『三四郎』の「広田先生」)
漱石が調べたイスラム教に関する知識は、代表作の一つである『三四郎』に明確に反映されています。
広田先生のモデルと描写
作中に登場する広田先生は、モハメット教の研究者という設定になっています。
広田先生のモデルは、漱石が敬愛していた内村鑑三とも言われており、漱石は広田先生を通して、当時の社会に対する精神的な批判や人生に対する達観した思想を表現しました。
作中での具体的な言及
広田先生の言葉として、「モハメット教の信者などになって見れば、今少しいい事があるだろう」という趣旨の発言が残されており、既成のキリスト教や世俗に対する批判的な視点、あるいは異文化・異宗教への関心としてイスラム教が用いられています。
これは、留学中に「異端の予言者」としてイスラム教に触れた漱石の関心を反映していると言えます。
漱石にとって、イスラム教の研究は単なる学問だけでなく、当時の日本の精神的状況や文明批評を行うための重要な参照軸の一つとなっていたと考えられます。




