改題「グラス・オニオン」 第一章 自殺
現在掲載しながら訂正中!!
私は助手のケイコと
若くして自殺したマモルの手記と格闘しているの。
ケイコとの出会いは「SAKIMORI」で書いたから省略する。
映画化にあたり、製作者の英次は「マモルのノルウェイの森」だと言うの。
調べてみると、
マモルは、あの村上さんとあまり変わらない頃に早稲田に在学していたの。
ノルウェイの森の時代は、若い自殺者が多い。
「高野悦子・二十歳の原点」
「岡崎里美・自殺への序曲」
と、出版されている。
なぜ死に急ぐのか
何かあったのよ。
たとえばビートルズの「彼女は家を出て行く」は、
アメリカで社会現象になり、3万人以上の少女が家出したらしい。
「ノルウェイの森」でもキズキ、直子と自殺する。
最近観た映画「ピンクとグレー(2016)」、
自殺願望者がテーマだが、
自殺の意味を求めても仕方がないのかもしれない。
どうも、本人の趣味趣向の延長なのかもしれない。
==
村上サガンのエッセイを引用してみる
作家の実験というか表現方法に自殺もあるのかと思う。
芥川龍之介が自殺した時、末期の眼という言葉を残す。
これが最期だという思いでいろんなことに臨むと、
見える景色も変わってくるような意味だろう。
彼は死を前にして、
「自然はこういう僕にはいつもよりいっそう美しい」と言い
「自然の美しいのは僕の末期の眼に映るからである」と述べた。
芥川のこの言葉に触れて、川端康成は「末期の眼」という評論を書いている。
川端も自殺した。
川端康成は、写真で三島由紀夫の首が転がってるのを見てから
少しおかしくなってしまったらしい。
三島由紀夫は表現のひとつで、自決という表現を使ったと思う。
僕は三島の文章は苦手ですが、
三島を作家にしたのが、坂本龍一の父だと知って驚いた。
大好きな文章を書く
太宰は自殺する気はなかった。
女性に無理心中させられたのだと思っている。
「グッドバイ」第一章(彼の遺作)を読んでも
次の展開を考えていたと思う。
何度も自殺未遂で助かったので、
今度も助かると思ったのかもしれない。
自殺を作家として演じたかったのかもしれない。
家族に遺書を残しているというが
これも自己アピールのひとつではないだろうか。
===
ヴァージニア・ウルフは語る
死は一時の中断にすぎない。
魂は続くのある。
人は肉体として在る限り、
「離れ離れ」で生きるほかない。
心中賛美
心中することは肉体という条件を越えること
死ぬことは恐ろしいことではない。
死とは完全な幸福であり、魂の融合である。
現世では成就不可能なことを希求するが故に、他界する。
「人生は影の行列にすぎない」
「死は挑戦である。死は伝達の試みである」
死はものの本質・実在・現実に達することであり、
その時、精神は不滅の魂となり永遠に連なる。
精神は充足と安らぎに憩い、「死には抱擁がある」
死に対して積極的で、東洋の思想のように思えた。
ヴァージニア・ウルフは入水自殺している。