マディソン郡の橋(1)偏見で観たクリントイーストウッドの作品
「マディソン郡の橋(1995)」
オースティンの作品に
「プライドと偏見」がある。
好きな作品だ。
彼女は毛嫌いしていたのは
偏見だと気づき、
それまで嫌いだった男に恋してしまう。
しかし、どうして人は偏見を持つのだろう。
僕も映画で偏見ばかりだ。
「マディソン郡の橋」 を初めて観た。
これは不倫もの、男として許せない。
ずっと観るのを避けていた。
しかしクリントイーストウッドの作品
観てみて、偏見だったことがわかった。
大ベストセラーの映画化
それも熟年の不倫。
この映画って日本的、フランス的。
おそらくアメリカでウケタのは、
今までにない、偲ぶ・忍ぶ恋だからだろう。
クリントイーストウッドの作品は
ハリウッド風より日本的。
これはタランティーノも同様。
二人の作風は日本的に思えてならない。
ストレートな表現を好むアメリカ人には
この抑制が理解できそうにないと思う。
しかし、それを理解できるように表現されている。
「ゴースト」も東洋的で死んだ後の話しなど、
アメリカ人に目新しく感じただろう。
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本作の要点は
「長いあいだ、わたしはあなたに向って、
あなたはわたしに向って歩いてきたのです」
「はるか昔から、この世に生まれる前から、
わたしたちは互いに相手に向って旅をしていたのです」
ロバートは後の手紙にこう書いている。
互いの結びつきを
これほど確信しながら、
フランチェスカは
これまでの生活を捨てることを選ばず、
ロバートは独りウィンターセットを去る。
その後二人が会うことは
二度となかったが、
共にすごした短い時間が、
互いの人生にどんな意味をもたらしたか、
フランチェスカは子供たちに宛てた手紙に残した。
いつもお互いを思うだけの思いが、
今の生活を支えていたと。