【3】小さな竜の子
――――竜王さまの宮での新たな生活。毎日朝と夜、竜王さまと食事を共にする。昼は竜王さまは執務で出ていらっしゃるのでひとりでだが。
「傷はだいぶ良くなって来ましたね、咲柚さま」
「う……うん、浅黄」
浅黄が毎日塗ってくれる傷薬と湿布薬のお陰で痕がだいぶ目立たなくなってきた。
「そうだ、これを」
「これは……」
「持ち運びしやすいように傷薬を小ぶりな入れ物に移しておいたのです。もし傷が痒くなった時はこちらを」
「あ……ありがとう」
これで浅黄がいない時に痒くなった時も何とかなりそうだ。
「これから夏ですし、少しずつ薄手のお着物にしてもいいかもしれません」
「だけど……お金は」
「そんなことは気にされなくてよろしいのです。咲柚さまには竜王さまの花嫁として相応しい衣が用意されるのは当然のことですわ」
「う……うん」
だけどいいのだろうか。多分この衣も美世が着ているものよりもいいものだ。
食事だって毎日美味しくて、夜も怒鳴り声に脅えずに寝られる。
「本日の午後はどう過ごされましょうか」
ここでは自由な時間が多くある。
家事を手伝おうとしたら浅黄たちの仕事だからと断られてしまった。
勧められたのは刺繍や読書など、一般的な貴婦人の趣味である。
「最近はお部屋に籠ってばかりでしたから、たまにはお外に出てみませんか?」
「え……っ」
庭、太陽の下。いいのだろうか、私なんかが。
「竜王の宮の庭園もそれは見事なものですよ。今は花も豊かに咲く季節。きっと楽しく過ごせるでしょう」
「そ……それじゃぁ、それにします」
無下に断る理由がない。むしろ勧めてくれる浅黄を悲しませたくなかった。
「承知いたしました。午後は庭園をご案内いたしますね」
「う……うん」
自分のようなものが陽の下で庭園の散策など許されるのだろうか?不安に感じつつも襖の向こうからは楽しそうな鳥の囀りが響いてくる。
不安と、それにまじって心に浮かぶのは何と言う感情なのだろうか……?
――――初夏の近付く庭は明るい光に満ちている。
「花が……たくさん」
「ええ。庭師自慢の花々ですよ」
「きれい……」
それに花独特のいい匂いがする。
実家にも庭はあったが、こんなにも庭園をじっくりみたのは初めてだ。
「この庭園を眺めながら茶菓子を召し上がるのもとても良いですよ」
「その……茶菓子を?」
菓子などほとんど食べたことがない。菓子は昔から美世が全部持っていってしまったから。
お祭りで街の子どもたちに菓子が配られても美世が自分の物だと持っていってしまうのだ。
「良ければ用意してまいります」
「そんな……手間を」
浅黄を引き留めようと手を伸ばすが。
「手間などではありませんよ」
浅黄はその手を優しく握り返してくれた。
「……その、じゃぁ」
優しげな浅黄の厚意をむげには出来なくて。でも今までの高圧的なものとは違う。
きっと浅黄は私が嫌だと言ったらやらないでくれるのだろう。だからこそ浅黄との会話は無理なく出来るのだと感じる。
「ではただいま用意してまいりますので、咲柚さまはこちらへ」
浅黄が庭園の一郭に用意されたあずまやを案内してくれる。わびさびを感じさせるすてきなあずまやだ。
囀ずる鳥の鳴き声も花々のみずみずしい匂いも。
何もかも。まるで楽園に迷い込んだかのように錯覚させる。
私は本当にここにいていいの?
「……」
じっと庭園を見つめていた。
「……?」
その時、生け垣に何かぴょこんと生えたものを見付ける。
「鳥……じゃない。野生動物が紛れ込んだ……?」
だけどそれは何かに似ている。
どこで見たのだっけ。色は青いけど、もうちょっと濃い色の似たようなものを見たような。
「……誰か、いるの?」
驚かせないようにゆっくりと近付く。
あと数歩……まで近付いた時だった。
不意に生け垣からすぽっと抜け出たのは……小さな竜人の子だったのだ。
「そうだ……しっぽ」
似たようなものを見たような気がした。それは竜王さまのしっぽだった。
そしてその竜の子は5歳くらいで、青い髪に瞳孔が縦長の氷色の瞳。小さな金色の竜角と青い翼を持っていた。
「何となく竜王さまに……似てる?」
「……りゅぅおぅ……」
竜の子はもしゃっと生け垣に寄り添いふるふるしている。恐がらせてしまったろうか。
「……その……恐く、ないよ」
「……」
「ええと……どうしよう」
その時気が付く。翼に怪我をしている?
「その、傷薬を持っているの」
「……」
「翼、塗ってあげる」
「……」
「化膿しちゃったら……」
いや、5歳の子には難しいだろうか。
「腫れたら痛いから、塗ろう?ね?」
「……」
「その、お姉ちゃんも塗ってるの」
そっと袖を捲り、絆創膏を剥がす。その下の傷痕にゆっくりと傷薬を塗ってみせる。
「こうすれば痛くなくなるから」
「……」
竜の子はゆっくりとこちらにやって来る。
「お名前は?」
「……ひな」
「ひなくん。私は咲柚」
「さゆ?」
「そうだよ。ほら、後ろを向いて」
「……うん!」
くるりと後ろを向いたひなくんの翼にゆっくりと優しく傷薬を塗る。
「沁みたりしない?」
私も沁みたりはしていないから大丈夫だと思うのだが。
「うん、へぇきだよ」
「そっか。えらいね」
傷にしっかりと傷薬を塗ってあげて、浅黄から予備でもらっていた絆創膏を取り出す。
「それじゃぁお薬が取れないようにこれを……」
その時、ザザザッと草木を掻き分ける音が響く。
「おい、何をやっている!」
そして鋭い声が響いた。
「りゅ……竜王さま……?」
目を見開き硬直する。
「お前、氷名に何をしている!」
激しい怒りの目に呼吸が速くなる。
「も……申し訳っ」
声が裏返る。
そして竜王さまが素早く氷名くんを私から引き剥がす。
「こんなところで何をしていた!」
激しい怒気に震えながら崩れ落ちる。
「申し訳、ありま……せん」
私には頭を下げることしか出来ない。
「お前が氷名に手を出すやつだったとは……見損なったぞ!」
怒りと失望の言葉。でも私にはどうしようも……。
「……申し訳……っ」
声をまた、絞り出そうとした時だった。
「何をしてらっしゃるのですか!」
その時響いた声にハッとする。
「あ……あさ、ぎ」
「咲柚さま、大丈夫ですか?」
浅黄の優しい腕が私の身体を起こし抱き締めてくれる。呼吸が少しだけ楽になっていく。それを確認した浅黄がキッと竜王さまを睨む。
「竜王さま、これは何事ですか!」
竜王さま相手なのに、浅黄の声も目も一切の震えがない。
「何事も何も、その女が氷名に妙なことを……」
竜王さまが言い淀むが。
「妙なことって……それは傷薬?」
浅黄が傷薬の入った容器と散らばった絆創膏を見、氷名くんの翼の傷痕に気付いたようだった。
「竜王さま!」
先程よりも強い言葉が飛ぶ。
「……な、何だ」
その語調に竜王さまが後ずさる。
「咲柚さまを一方的にお叱りになる前に、氷名さまの翼の傷をご覧くださいませ!」
「え……氷名、それは」
竜王さまが氷名くんに手を伸ばそうとした瞬間、氷名くんがわぁっと涙ぐむ。
「うわあぁぁぁぁぁっ」
「ひ……氷名、な、泣いてっ」
氷のような表情を崩さなかった竜王さまがおどおどと戸惑っている様子に呆気にとられる。
「いいから竜王さまはどいてくださいませ!」
浅黄は私から腕を解くと竜王さまの前に堂々と立ちはだかる。
「その、浅黄」
竜王さまは弱々しくその名を呼ぶ。
「咲柚さまは氷名さまの翼の手当てをしていらしただけですわ」
「それは……」
ハッとした竜王さまが私を見る。その……。
「ほら、氷名さま。絆創膏を」
浅黄が優しく氷名くんを呼べば、自然と翼を向ける。
「はい、これでよし」
「……うん」
氷名くんは涙を止め嬉しそうに頷く。
「ふふっ。いいこですね。お菓子があるので氷名さまもいかがですか?」
浅黄が優しく氷名くんを撫でれば。
「おかし?たべる!」
ぱあぁっと顔を輝かせる。
「はい。では一緒にまいりましょう。ほら、咲柚さまも」
「う……うん」
そして私にも手を差し出してくる。
しかし竜王さまはいいのだろうか?
「その……浅黄」
「竜王さま」
浅黄がふぅと息を吐く。
「は……はい」
あの竜王さまが浅黄に所在なさげに漏らす。
「理由もしっかりと確かめず一方的に咲柚さまを責め立てるとは何事ですか」
浅黄の落ち着きながらも芯の通った言葉に竜王さまは項垂れる。
「す……すまなかった」
「謝るのは私ではないはずですわ」
その言葉に竜王さまが再び私を見つめる。
「……その、咲柚」
「は……はい、竜王さま」
今の竜王さまの目は怒りに満ちてない。何処か弱々しく小さく震えている。
「すまなかった」
「……っ」
竜王さまが謝られるなんて。
「その……許してほしい」
さらには頭を下げてきた。
「私はその……怨んでなどおりません。だから……頭をあげてください!」
必死に竜王さまを起こそうとすれば。
「お前は……優しいんだな」
竜王さまがスッと頭を上げる。
「え……っ」
そんな風に言われたのは初めてだ。私はいつも脅えていて、弱虫で内気で。
褒められたことなどなかった。
「仲直りされたのでしたら、ご一緒にお茶にいたしましょう。竜王さまの分のお茶もすぐに用意いたします」
「あ……ああ、萌黄」
竜王さまはどこかぎこちなく頷きつつも、そこにはただ氷名くんが転ばないか過保護に見守る表情があった。
やっぱり竜王さまは……ただ冷酷無比なわけじゃない。本当は優しいお方なのではないだろうか。
そして案内されたあずまやには多めに菓子が用意されており、浅黄が素早く竜王さまと氷名くんのお茶を追加で用意してくれた。
「おかし!さゆ、たべる?」
「氷名くんが先に食べていいよ。どれが食べたい?」
「んーと……きいろいの!」
黄色い花をモチーフにした練り切りだ。
氷名くんが食べやすいように楊枝で切り分けてあげれば、楊枝を器用に持ちながら美味しそうに頬張っている。
「その……お前は面倒見がいいのだな。慣れているのか」
竜王さまが意外そうに目を向けてくる。
「ええと、いいえ。ただ普通にやっただけで……」
美世はとにかく我が儘で手がつけられなくて。両親も美世に何でも好き勝手させていた。慣れているわけではないのだが。
「だが……礼を言う」
「え……っ」
まさかお礼まで言われるなんて。
「まだちゃんと紹介していなかったな。氷名は弟だ」
「竜王さまの……弟!あ……あの……ごめんなさい。私、氷名さまって呼ばないと」
また肩が畏縮してしまう。
「いい!そんなことしたら氷名がせっかく懐いているのに」
その言葉にパッと顔を上げる。
「な……懐いて」
そして心を温める、この感情は何だろう?
「さゆ!」
氷名くんがちょいちょいと着物の袖を引っ張ってくる。
「今まで通り、接してやってくれ」
竜王さまの言葉に自然と心が軽くなる。
「は……はい。その、氷名くん」
なでなでと頭を撫でてあげればはにゃりと笑む。
「かわいい……あっ」
ついつい漏れ出た本音にハッとする。
「……その、ごめんなさ……」
私、またやらかして……。
「謝るなと言っただろう。事実だ」
しかし竜王さまはさらりと答える。
「え……っ」
その……それはそうだけど。
「その、さっきのは本当にすまなかったと思っている。お前も自分が悪くない時はむやみに謝るな」
「ですけど……」
そうするしか生きて来られなかったから。
「ひとりでどうにもいかない時は萌黄を頼ってもいい。……俺に言ってもいい」
「……っ!」
竜王さま……も?
「俺はお前の夫なのだから」
「……竜王さま」
竜王さまは私の、夫。頼っていい、相手。
その事実に目頭が熱くなる。
「それと、その竜王さまはいい加減やめろ」
「でも……」
それ以外どうお呼びすればいいのだろう。
こてんと首を傾げれば。
「竜王の名は霞守氷月。氷月でいい」
「ひ……氷月さま……」
氷名くんとまるでお揃いのような名前。
教えてもらえた大切な、大切な名前だ。
「そうだ。それと」
「は……はい!」
まだ何かやってしまったらうか?背筋がピンと伸びる。
「お前も食え。茶が冷めるだろう」
「は、はい。その、氷月さまは」
先じゃなくて良いのだろうか。
「咲柚が先に選んでいい」
「そ……それじゃぁ」
本当に、いいの?
桃色の花の練り切りを選べば、氷月さまが青梅を象った練り切りを選ぶ。
そしてそれを手づかみでぱくっと食べる。
その様子に呆気に取られて目をパチパチとする。
「竜王さま」
浅黄の声が何となく低い。
「な……なんだ、浅黄」
氷月さまがぎこちなく問えば。
「氷名さまの前でお行儀が悪くございます。真似をされたらどうするのですか」
「……分かった。次は楊枝で食うから」
氷月さまがやれやれと観念したのも束の間。
「『食べるから』」
「……はい」
どうしてか萌黄にたじたじな氷月さまの様子にどこか微笑ましくなってしまった。
「さゆ、えがお」
「……っ」
そう言えば……いつの間に。
もう忘れた感情だと思っていたのに。
「たのしいね」
「うん……氷名くん」
何だか温かくて優しい時間。これが幸せ……って感覚なのだろうか。




