第7話 セリスという女官
「セリス・オルディアにございます」
女官はそう名乗り、レオンへも一礼した。
丁寧だ。
けれど、その丁寧さの中に好意はほとんど混じっていない。
仕事のための礼。
それ以上でも以下でもなかった。
「以後、第三王子殿下の身の回りと文書補佐を務めます」
身の回り。文書補佐。
聞こえはいい。
だが、王の前でわざわざ紹介される以上、ただの侍女ではない。
監視と補佐を兼ねる実務役だろう。
レオンがそう判断したのと同じタイミングで、エドガーが口を開いた。
「セリスは王宮の書面に強い。地方へ出すなら、最低限その程度の補佐は必要でしょう」
言い方が綺麗だ。
最低限。
その一語の中に、レオンへ向ける評価がまとめて入っている。
ガレスは面倒そうにセリスを一瞥しただけだった。
「じゃあ、話はもう済んだだろ」
「兄上は本当にせっかちですね」
「長く座ってても剣は振れねえからな」
この二人の会話は、噛み合っていないようでいて、互いに相手の型は分かっているらしい。
長年の兄弟らしい距離感だ。
その輪の外に、自分はいる。
レオンはその事実を変に苦くは感じなかった。
最初から持っていなかった席だ。
惜しむ理由もあまりない。
国王はそこで話を打ち切るように、机の上の書面を指先で整えた。
「詳細は後で伝える。今日はここまでだ」
退室の気配。
だが、同時に話がまだ終わっていないことも分かる。
王の言う「後で伝える」は、たいてい既に決まっている内容の通知だ。
相談ではない。
レオンが一礼して下がろうとすると、国王が最後に一言だけ加えた。
「セリス」
「はい」
「必要な説明はしておけ」
「承知しました」
必要な説明。
その表現だけで、これから告げられることが自分の意思と無関係なのがよく分かる。
執務室を出ると、張りつめていた空気が少しだけ緩んだ。
けれど楽にはならない。
楽にならないどころか、むしろ現実味が増した。
隣を歩くセリスは、足音まで無駄がなかった。
回廊をしばらく進んだところで、彼女が先に口を開く。
「驚かれましたか」
「何に」
「ご自分の価値に対する、あの部屋の率直さに、です」
言い方が遠慮ない。
だが、わざと気遣って濁されるよりましだった。
「まあ……分かりやすくはあった」
「それは何よりです。分かりにくい圧力より、明文化された軽視の方が対処しやすいので」
さらりとひどいことを言う。
レオンが思わず横目で見ると、セリスは少しだけ口元を緩めた。
笑った、というより、反応を確かめた程度の変化だった。
「失礼。今のは皮肉です」
「分かる」
「でしたら結構です」
短い会話だったが、この女の性質が少し見えた。
端的。
辛口。
たぶん、人に合わせて優しく丸める気があまりない。
回廊の窓から、中庭が見える。
王宮は相変わらず整っていて、冷たい。
レオンは歩きながら尋ねた。
「必要な説明って、何のこと」
「まず、ひとつ」
セリスは前を向いたまま答える。
「殿下は王宮で期待されていません」
「それは知ってる」
「ええ。ですので、そこを誤解して動かなければ、大きく外しません」
それは妙に実務的な助言だった。
「二つめ。期待されていなくても、放置はできない立場です」
「王族だから?」
「はい。殿下ご自身が何も望まなくても、名目には使われます。中央は余白を嫌います」
エドガーの顔が頭をよぎる。
たしかに、あの兄ならそうだろう。
「三つめ。今後の話は、同情や善意で動いていません」
「それも知ってる」
「でしたら話は早いです」
簡潔すぎる。
だが、必要なところだけ示すのはこの女らしかった。
「君は、俺を哀れんでるわけじゃないんだな」
レオンがそう言うと、セリスは一拍だけ視線を寄越した。
「まったく」
即答だった。
「では何を」
「まだ測っているだけです」
セリスは事務的に言った。
「押しつけられた先で黙って潰れる方なのか、それとも多少は使える方なのかを」
ずいぶんな言い草だ。
でも、嫌ではなかった。
少なくとも彼女は、最初から無能だと決めつけてはいない。
観察対象ではあるが、判定はまだ保留なのだ。
「一応聞くけど」
レオンは言った。
「断る余地はある?」
セリスは一拍も置かずに答えた。
「ございません」
あまりにも綺麗な即答だった。
「ですよね」
「ですが」
彼女は少しだけ声を落とす。
「何も知らずに押し出されるより、構えて向かった方がましです」
それはそうだ。
だからこの女は、いま最低限のことだけを先に伝えているのだろう。
単なる監視役ではない。
合理で動くなら、前提条件を共有した方が得だと分かっている。
レオンはようやく、このセリスという女官が少し面白く思えてきた。
その時、回廊の先で伝令らしい役人が待っていた。
こちらへ一礼する。
「レオン殿下。陛下がもう一度、執務室へと」
レオンは小さく息を吐いた。
やはり、まだ終わっていなかった。
そしてセリスは、何の驚きもない顔で言う。
「正式な行き先が告げられます。どうぞ、お覚悟を」




