第5話 父王の執務室
父王の執務室は、広いくせに息苦しかった。
重い机。
壁一面の書棚。
王家の紋章が織り込まれた絨毯。
どれも高価なはずなのに、贅沢さより先に「ここでは無駄を許さない」という空気だけが伝わってくる。
その中央に、国王がいた。
年齢の割に姿勢は崩れていない。
威圧で押すタイプではないのに、目だけで人を静かに測る。
父親というより、巨大な組織の最終決裁者に近かった。
右には第一王子エドガー。
左には第二王子ガレス。
その視線の先に、自分がいる。
レオンは王の前で一礼した。
「お呼びと伺い、参りました」
「体調は戻ったか」
国王の声は低く、平坦だった。
息子の具合を案じる響きではない。
書類の不備が解消されたかを確認する口調に近い。
「熱は下がりました。ご心配をおかけしました」
「そうか」
それだけで終わる。
予想はしていたが、ここまで乾いていると逆に分かりやすい。
無事でよかった、もなければ、無理をしたな、もない。
国王は机上の書面へ一度目を落とし、それからレオンへ視線を戻した。
「お前が倒れたことで、いくつか予定が流れた。大事には至っていない」
要するに、損害は軽微だったと言いたいのだろう。
レオンは内心で小さく息を吐いた。
会社でもあった。
誰かが倒れた時にまず確認されるのが、その人間ではなく業務影響の方である瞬間が。
「ご迷惑をおかけしました」
とりあえず、そう返しておく。
「迷惑というほどではない」
慰めではない。
本当にそう思っている声だった。
お前が止まっても、この宮は回る。
その程度の意味だ。
胸のあたりが少しだけ冷える。
だが、傷つくほどでもない。
前世で似たような空気は嫌というほど知っていた。
倒れても代わりはいる。
いなくても仕事は進む。
困るのは、その日の引き継ぎだけ。
王宮も会社も、案外たいして変わらない。
「今日は、見舞いのために呼んだわけではない」
国王が言った。
やはりか、とレオンは思う。
「話は一つだ。お前の今後についてだ」
部屋の空気がわずかに締まる。
エドガーは動かない。
ガレスは退屈そうに腕を組んだままだ。
二人とも、この話の中身をある程度知っている顔だった。
レオンだけが、最後に呼ばれた当事者。
その構図だけでも十分すぎるほど分かりやすい。
「今後、ですか」
「そうだ。お前は十七になった。いつまでも王宮の端に置いておく年ではない」
端に置いておく。
言外に、これまでそうしてきたことを認めている。
国王に悪意はない。
ただ、事実として処理しているだけだ。
それが余計に冷たかった。
「王族には、それぞれ役割がある」
国王は続ける。
「エドガーは中央を学んでいる。ガレスは軍を見ている。ではお前は何を担うべきか。そこを決める必要がある」
一見、公平に聞こえる。
ちゃんと役割を与えようとしている王の言葉だ。
だが、レオンには分かった。
これは期待ではない。
配置先を決めるための話だ。
使い道の曖昧な駒を、どこへ置けば盤面が静かになるか。
その検討に近い。
「何か、ご命令が」
「命令というより、配置だ」
国王は椅子の背にもたれず、静かに言った。
「お前には、王族として実地を知ってもらう」
その言い回しの整い方に、逆に嫌な予感が強くなる。
実地。
経験。
学び。
そういう綺麗な言葉で包まれる案件に、ろくなものがあったためしがない。
前世でもそうだった。
成長の機会と言われて押しつけられるのは、大抵、誰もやりたがらない仕事だった。
国王はそこで言葉を切った。
短い沈黙が、妙に長く感じる。
レオンは目を伏せすぎないように注意しながら立っていた。
父王の前だからではない。
ここで感情を読まれすぎるのが面倒だった。
「お前自身の意見も、聞くだけは聞いておこう」
聞くだけ。
採るとは言っていない。
その一言だけで、この場における自分の重さがよく分かった。
レオンは短く考えた。
無理はしない。
抱え込みすぎない。
それが今の方針だ。
だからこそ、ここで変にやる気を見せるのは違う。
かといって、露骨に嫌がれば面倒になる。
結局、必要なのは前世で嫌というほど覚えた中間回答だった。
「王命に従います。そのうえで、役に立つ形で動ければと思います」
無難。
安全。
角が立ちにくい。
だが、それでも国王の目は少しも柔らかくならなかった。
「そうか」
また、それだけだ。
返事が悪かったわけではない。
そもそも、返事の中身に大した関心がないのだろう。
この場で大事なのは、レオンの意思ではない。
王家にとって処理しやすい形に、第三王子を収めることだ。
その事実だけが、静かに胸へ沈んでいく。
そして国王は、視線を兄たちへ向けた。
「二人はどう見る」
その問いかけで、レオンははっきり理解した。
これは父と子の会話ではない。
王家の中で、自分という案件の処分を決める席だ。




