第3話 期待されない王子
頭痛が少し引いたあとも、記憶はきれいには繋がらなかった。
一気に全部思い出すわけじゃない。
切れ端だけが、順番もなく浮かんでは沈む。
庭園での茶会。
学問役の乾いた声。
兄たちの背中。
自分の席だけ、どこか少し遠い食卓。
レオン・アルヴェイン。
十七歳。
アルヴェイン王国の第三王子。
そこまでは、ほぼ確かだった。
そしてもう一つ、確かなことがある。
この王子は、驚くほど期待されていない。
修司――レオンは、寝台脇の椅子へ腰掛けて息を吐いた。
王子と聞けば、もっと華やかな立場を想像する者もいるだろう。
でも、記憶の中のレオンはそんな人間ではなかった。
第一王子エドガーは、正統の本命。
優秀で、隙がなく、最初から王になる側の人間。
第二王子ガレスは、武に優れた実戦派。
兵や騎士からの人気も高く、分かりやすい力を持っている。
それに対して第三王子レオンは、覇気が薄い。
前へ出ない。
争うことを嫌う。
少なくとも、周囲はそう見ている。
無能とまでは言われていない。
けれど、有能とも思われていない。
要するに「いてもいなくても大勢に影響しない三男」だ。
扉が控えめに叩かれ、さっきの侍女が入ってきた。
今度は朝食らしい盆を持っている。焼いたパン、薄いスープ、卵料理。食器もいちいち上等だ。
「お加減はいかがですか、殿下」
「少し落ち着いた。ありがとう」
礼を言うと、侍女がほんの少しだけ目を見開いた。
言われ慣れていないらしい。
「……お食事をお持ちいたしました。医師より、重いものは避けるようにとのことです」
「分かった」
侍女は盆を置きながら、必要以上のことは喋らない。
丁寧だが、踏み込まない。
その距離感がこの王子の立場をよく表していた。
食事を前にしても、妙に落ち着かない。
運ばれてくるものは上等だ。世話も雑ではない。
だが、それは大事にされているからではなく、王族として最低限の体裁があるからだろう。
「二日、寝込んでいたんだっけ」
「はい。急な高熱で。ご予定もいくつか見送られております」
「俺の予定?」
思わず聞き返すと、侍女は言葉を選んだ。
「……いえ、殿下のご出席予定であった学問会と昼席は、すでに別の形で整えられております」
なるほど。
要するに、自分が倒れても困る人間は少ないということだ。
代わりはいくらでも利く。むしろ最初から、いなくても回る前提で組まれている。
侍女が出ていったあと、レオンは上着を羽織って部屋の外へ出た。
じっとしている方が、かえって落ち着かなかった。
廊下は広い。
白い石壁に、金の装飾。
外から見た時も思ったが、本当に立派な宮だ。
ただ、歩いてみると分かる。
ここは中心ではない。
人通りが少ない。
侍従の数も多くない。
磨かれてはいるが、華やかな来客や高位貴族が行き交う場所の気配ではない。
王族の居室ではあるが、主役の住む区域ではないのだろう。
回廊の角を曲がったところで、向こう側から来た二人の若い使用人がぴたりと動きを止めた。
「レオン殿下」
慌てて頭を下げる。
礼儀は正しい。
だが、その顔にあるのは敬意というより「困らせないようにしよう」という種類の緊張だった。
「そんなにかしこまらなくていい」
ついそう言うと、二人はさらに戸惑った顔をした。
片方が言葉を探すように口を開く。
「お、お加減が戻られたようで、何よりでございます」
「ありがとう」
それだけ返して通り過ぎる。
背後で、小さく息を吐く音が聞こえた。
怖がられているわけじゃない。
嫌われているわけでも、たぶんない。
ただ、どう接すればいいか分からない薄い相手として扱われている。
それは会社でも何度か経験した空気だった。
便利な時だけ声がかかる人間。
不在でも会議は進む人間。
責任の中心には置かれないが、雑務は自然に寄ってくる人間。
立場が王子に変わっても、妙に既視感のある場所だった。
回廊の途中、半開きの扉の向こうから、男たちの話し声が漏れてきた。
「第一殿下は朝から陛下と軍備の件で」
「第二殿下は訓練場へ。例の騎士選抜を見られるとか」
「では、第三殿下の報告は?」
「熱が下がったとのことだが……急ぎではない。後でよい」
声はすぐに遠のいた。
レオンは足を止めず、そのまま歩いた。
わざと聞かなかったふりをするのは、前世で覚えた処世術の一つだ。
急ぎではない。
たったそれだけで十分だった。
兄たちの予定は王や軍と直結している。
自分の報告は後でいい。
それが今の序列だ。
部屋へ戻る途中、窓の外に訓練場が見えた。
数人の騎士に混じって、大柄な男が木剣を振るっている。
記憶の断片が反応する。たぶん第二王子ガレスだ。
豪快で、強くて、細かな気回しは苦手。
でも兵からは好かれる。
一方、第一王子エドガーは剣ではなく言葉と政治で立つ男。近づきがたいほど整いすぎた王子。
そして自分は、そのどちらでもない。
「……まあ、そうだろうな」
レオンは小さく呟いた。
前世の自分だって、出世争いへ向いていたとは思わない。
目立つことは苦手だ。
威圧感もない。
我慢して抱え込んで、最後に潰れる。そんな人間だった。
でも、このレオンの記憶を辿ると、それだけじゃ済まない気もした。
ただ覇気がないのではなく、最初から期待されない場所へ静かに追いやられてきた跡がある。
争っても意味がない。
何をしても兄たちには届かない。
そう思い続けた人間は、だんだん声を小さくする。
それを周囲は「気力がない」と受け取る。
悪循環だ。
レオンは部屋へ戻り、机の上に置かれていた書簡へ目を向けた。
封は切られていない。
王宮の紋章が押されているが、自分宛ての重要文書というより、事務的な通達の束に見えた。
その時、再び扉が叩かれた。
さきほどの侍女が、今度は少しだけ張った顔で入ってくる。
「殿下」
「どうした」
「陛下の近侍が、お見えです」
空気が一段、冷えた気がした。
国王。
この世界での父親。
そして、レオンの価値を決める側の人間。
レオンが頷くと、侍女は扉を開けた。
年配の近侍が一歩だけ入って、無駄なく一礼する。
「レオン・アルヴェイン殿下。陛下より、お呼び出しです」
やはり急ぎではなかった報告が、ここでようやく順番になったらしい。
レオンは胸の内で、静かに嫌な予感を数えた。




