ひとり
ただいま。
返事はなかった。
靴を脱いで上がる。
台所の明かりはついている。
食卓には、もう皿が並んでいた。
湯気が、まだ残っている。
奥から、祖母の声がした。
「ヤマト……ちょっと、来て」
いつもと同じ呼び方。
同じ声。
なのに、少しだけ細かった。
居間に入ると、祖母が座っている。
背中を丸めて、テーブルに手をついていた。
「どうしたの」
「ちょっとね……胸が苦しくて」
笑おうとして、うまく笑えていない。
「救急車、呼んでくれる?」
その言い方が、やけに普通だった。
ああ、そういうときもあるのか、と思った。
ポケットから端末を出す。
担任に連絡する。
「祖母の体調が悪いみたいで」
『わかった。すぐ手配する』
通話はそれだけで終わった。
「もうすぐ来るって」
「そう」
祖母はうなずく。
「先、食べときなさい。冷めちゃうから」
いつもの調子だった。
だから、大丈夫だと思った。
十分もしないうちに、車両が来た。
白い光が、窓に反射する。
ストレッチャー。
知らない人の手。
「一緒に行く」
「いいから」
祖母が言う。
「ご飯、食べときなさい」
それが最後の言葉だった。
⸻
ひとりで座る。
向かいの席が空いている。
味噌汁の湯気が、まだ少し残っている。
箸を取る。
やけに静かだった。
大丈夫だと思った。
きっと、すぐ帰ってくる。
そう思いながら、全部食べた。
⸻
布団に入る。
目を閉じる。
眠れない。
天井を見る。
時計の針の音だけがする。
胸の奥が、落ち着かない。
こんなふうに、誰かを心配するとは思っていなかった。
しばらくして、端末が震えた。
担任からだった。
『……すぐ来られるか』
『車を向かわせる』
それだけ言って、切れた。
⸻
夜の道を走る。
街灯。
信号。
ガラスに映る自分の顔。
どれも、見慣れているはずなのに、少し違って見えた。
⸻
病院の廊下は、白かった。
突き当たりのドアの前に、担任が立っている。
何も言わなかった。
ただ、軽く頭を下げた。
祖母は、
もう動かなかった。




