第9話 忘れられない教訓
話を少し巻き戻すのだが、中学生時代に山の学習というものがあった。
クラスの皆が少年自然の家という所に自転車で向かい、そこで寝泊まりし交流を深めると共に山の学習を行う行事であった。
僕達の住む町は高原地帯であり、見渡せば山の山頂ばかりで空が近い。
空気は澄み渡り心地よく、牧場から届く牛の鳴き声を聞きながら自転車のペダルを小一時間ほど踏み続け目的地に到着するのだった。
その場所は、かつて糖尿病サマーキャンプの行事の中で、山の体験を学びに訪れていた場所でもあった。
この後に起こる出来事をいま振り返ってみると、何か因縁じみたものを感じてしまう。
この場所へ向かうにあたり、親からは低血糖対策として袋に入れたクッキーを渡されていた。
発作が起これば直ぐに食べるようにと。
だけど僕は、自分だけがお菓子を持参していることに申し訳ないと思ったのか、同級生達に配って回ったのだ。
そりゃみんな喜ぶだろうさ。
でもそれが大切な命綱だったなんて知る由もなかった。
程なくして、険しい山道を下り小さな川の流れる沢へとやって来た。
いかんせんなんとこのタイミングで、低血糖発作を起こしてしまうのだった。
まず低血糖の症状を説明するならば、初期の段階で手の震えや冷や汗、欠伸を伴う眠気、足が地に着いていないようなふわふわ感、視点が定まらない、などがある。
この段階で糖分を摂取すれば早期回復も出来ようが、その時には命綱であるクッキーは既に無くなっていた。
強い眠気と判断力、思考力の低下を感じながら、意識が朦朧となり目を開けていられなくなってしまった。
大きく丸い苔むす石の上に仰向けとなり、意識を失ってしまうのだった。
誰かが、誰か一人だけでも、この異常に気付いてくれたなら。
しかし、皆の目には昼寝をしてるだけ、としか映ってなかったそうだ。
そうだと言ったのは、誰も異常に気が付かず、僕を一人石の上に置いて、沢を離れたからである。
引率の先生も、であった。
意識を取り戻したのは偶然か、はたまた取り憑きたる病の気まぐれであったか、僕は意識を取り戻し、ふらつきながら沢を四つ足で登っていった。
そして細い山道のその先に、ついに同級生達の列を見つけるのだ。
そこから先の記憶はない。
気がつけば、寝泊まりしている屋内に寝かされていた。
引率の教師から何か話し掛けられていたが、何を言っていたかなど分からない。
「大丈夫か?」
なのか
「なんでしんどいと言わなかったのか」
であったか。
どちらでもよい。
低血糖を起こしているときに、助けを求めることは難しい。
正常な判断力が鈍るからである。
だからこそ、身体を動かす前の補食が大切なのであるし、その準備が必要なのだった。
1型糖尿病で高血糖は勿論身体に良くないのだが、直ぐにも命を落としかねないのが低血糖なのである。
勿論、高血糖の状態が長年継続していれば、糖尿病性合併症という取り返しのつかない身体になってしまう恐れがある。
だけど、低血糖状態の時に適切な対応を行わないと、死は直ぐに訪れることとなる。
だからこそ1型糖尿病患者さんは、自らが自分自身のドクターであり、1型糖尿病についての知識を誰よりも持っていなければならないのだと思う。
発作の対処は時間との勝負であり、いちいちドクターに「どうすればいいですか?」、なんて問い合わせている暇はないのである。
主治医よりも、自分の状態を把握しなければならないのが、1型糖尿病患者だとも言えるのだ。
山の学習の後、普段の日常に戻るのだが、引率の先生は1型糖尿病についてかなりの勉強をしていた。
この僕の病気について、向き合って下さった。
僕は先生に恨みはない。
何故ならそのような状況を作ったのは僕であり、その対策を講じるには経験不足だったからである。
誰にも、責任はない。
この山の学習の後、いや、かなり後になって知るのだが、山の学習の前日、幼馴染であり同じ集落の女の子の家に、僕の祖父が訪ねて来たそうだ。
そして祖父はその娘に頭を下げこのように言ったそうである。
「なにかあったらうちの孫を助けてやってくれ」、と。
それを知った僕は、涙が止まらなかった。
もうかなり前に天国へと旅立ったお祖父ちゃんに言いたい。
心から、ありがとう。
この出来事は後にも先にも良い教訓となり、死を意識した瞬間であった。




