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とり憑きたるは神か悪魔か  作者: Alice Lee


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第7話 糖尿病サマーキャンプ2




 キャンプの内容は厳密にスケジュール管理がなされており、その予定通りにことは進められていた。


 初めて参加するキャンプではあったが、なにもテントの中で寝るわけじゃない。


ベッドがあり、風呂があり、食堂もある。


その施設にはグラウンドもあり体育館もあった。


行事は盛りだくさんで、ソフトボールをしたり、近くのボウリング場に出掛けたり、海水浴まで盛り込まれていた。


山の中で育った僕にはそれが海水浴初体験となるのだ。


本物の海に触れたことが無かったのである。


しかしながら巨大なダンプのタイヤチューブで作られた浮き輪で大人達にまぎれ遊んでいたとき、チューブの下に押さえつけられ溺れそうになった。


それがトラウマとなり、いまでも頭から水を被ると息が出来なくなってしまう。


それが例えシャワーであったとしてもだ。


 一日の流れはこうである。


 起床すれば先ず更衣と洗面を済ませ血糖測定。いまでこそ技術の進歩により血を流すことなく機器を近づけるだけでも測定が行え、日時グラフとしても常に値を記録出来るようになったが、当時は身体を刃で傷つけ血液を付着させ、機器に挿入して測っていた。


それもいまでは瞬時に測れるが、昔は数分待たなければならなかった。


値は血糖測定帳に手書きで記録する。


尿糖検査もそうだが、血糖測定値も同様に記録し、毎月通院時にはそれを医師に見てもらい上手く管理出来ているか判断してもらっていた。


 キャンプの流れに戻るが、もしも血糖の値が低ければ、看護師がクラッカーを渡してくれ嬉しいおやつタイムとなるのだ。


わざと値を低くしようと、激しく動き回る子もいたが、僕も彼の行動を見習おう、と考えたのはいうまでもない。


そしてインシュリン注射。


いまでは超即効型インシュリンの登場により食べる直前、もしくは直後に射つようになったが、当時は30分前に射っていた。


それはインシュリンの効力か出始めるのがその頃であり、食事によって血糖か上がる頃に合わせる必要があったからである。


とにかく、食事を摂る前にインシュリン注射のタイミングを合わせるのが面倒だったのだ。


 この頃の主流が即効型インシュリンと呼ばれるものであり、大腸菌から遺伝子組み換えで造られたようなヒトインシュリンが出るまでは、牛や豚から精製されたインシュリンを投与していた。


これはヒトインシュリンに比べ安定性の面でも効力についても不安定であり、現在でいうところの副反応も考えられた。


患者それぞれに、使うインシュリンの種類が違っており、キャンプに参加していた子供達の中で僕と同じ種類を使っていたのは、たった一人でありそれは可愛らしい同年代の女の子だった。


因みに、その子は次のキャンプには不参加であった。


やはり同じ1型糖尿病同士であったとしても、心を開くかどうかはその子次第なのだ。


 それぞれに決められたカロリーの食事が用意され、それ以外を口にすることは無かった。


学習の一環として、ビュッフェ形式でそれぞれの料理で自分はどれだけの量を食べられるのか、計りを使ってグラムを測りながら皿に乗せていったのは良い経験になったし、普段の生活でこの食材は何カロリー、というように目から入ってくる情報だけでカロリー計算が行えるようになった基盤となったと思う。


この頃、頭に入っていたのは、タマゴ1個、リンゴ半分、ミカン1個、茶わん一杯のご飯何カロリー、といった形で暗記していた。


食べ物スカウターの誕生である。


 食事が終わればアクティビティや1型糖尿病についての勉強会や指導もあった。


こうした生活の中で、僕にとって自分を律する一番の教えとなったのが、0歳や幼い児童達が、当たり前のように血糖測定やインシュリン注射を受け入れている場面であった。


同行していた母親の手で、看護師の手で、または自分の手で、当たり前に血糖を測定し、注射をしているのだ。


必要だからと言えば元も子もないが、自分よりも幼い時期からこの病気と生涯付き合わないといけないのか、と考えただけで、測るべき尿糖検査をサボったり、血糖測定をサボったり、決められた量よりも多く食べたりと、欲望に負けていた自分が情けなく思えた。


これが、これこそが、定期的に交流を深めることで、何故そうしなければならないかを思い出させてくれる教えとなったと思う。


常に決められことしかしちゃいけない。


この考えは檻と同様に思えるが、何故そうしなければならないかを考えたなら、その基本を忘れてはならないと思う。


何故なら、親は我が子に元気で生きていて欲しいと願い、すくすくと健やかに育って欲しいと願っているからだ。


医師も看護師もボランティアの学生方も、皆それを後押しする為に力を貸してくれているのだ。


僕達、1型糖尿病の子供達が、この先社会に出て普通の人として、夢を諦めず夢に向かって突き進めるように、用意してくれたのがこの糖尿病サマーキャンプだったのだと思う。


その後、中学に進学してからはサマーキャンプから足は遠退いてしまったのだけど、高校を卒業してからはOBとして何度か顔を出していた。


年によってキャンプの場所は変わるのだけれど、久し振りに顔を出したその場所は、自分が始めてキャンプに参加した場所だった。


ホールで子供達と見た映画があるのだけど、いまでも大好きな映画のひとつになった。


若き日のジュリア・ロバーツが1型糖尿病患者を演じた、マグノリアの花である。


そして若き日にキャンプで知り合った皆とは現在では疎遠になってしまったけれど、青春時代を共に過ごせたのは幸せだった。


同じ病気の仲間がいる、皆んな頑張っている、それが知れただけで自分も頑張ろうと思えた。


病気があっても、人は孤独じゃない。


悩みは、誰にだってある。


その時は乗り越えられないと思っていても、あれ? この壁ってこんなに低くかったっけ、と思える日がきっと訪れる。


自分から手を伸ばせば、手をとってくれる人が必ず現れる。


そう考えたなら、明日という一日が違って見えるかも知れない。


だからこそこの病気は明日も変わらず自分の中に在り続け、時に問い掛けてくる。



諦めんじゃねえ。お前に出来ることはホントに無いのか、と。








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