第2話 病の正体
クリニックを受診した僕に下された診断は、「夏風邪でしょう。二、三日様子を見ておかしいようならまた来て下さい」、であった。
思い返せば確かに夏休み後半は風邪気味ではあったと思うが、その時に感じていた症状は激しい倦怠感と吐き気と口渇であった。
新学期を迎える前だかあとだか記憶は曖昧なのだか、症状が緩和することなくより悪化していつように思う。
再度クリニックを訪れた母親と自分。
医師から告げられたのは、これから何も口にせず、紹介状を書くから大学病院で詳しい検査をしてもらって下さい、であった。
今でこそ生体肺移植手術など国内でも評価の高い大学病院ではあったが、当時は造りの古い、子供からすれば馬鹿広い敷地に建つ巨大な学校のように感じたものだ。
母親に連れられ、小児科の医師から問診を受けている途中で、僕は意識を失い昏睡状態に陥るのだった。
今でもその時に医師から尋ねられた内容は朧気ながら憶えている。
お腹を押さえながら「気持ち悪さや痛みはないですか?」、だったと思う。
意識を取り戻した時には大部屋の病室のベッドの上であり、点滴が繋がれていた。
母はベッドの傍におり、意識の戻った僕に話し掛けるのだ。
「1型糖尿病っていう病気になっちゃったんだって。治るまで好きなもの食べられないけど我慢出来る?」
その晩は、母も病室に備え付けの簡易ベッドで一晩付き添い。翌日は仕事をしていた為帰宅するのだった。
その夜、僕は母にノートと鉛筆を用意して欲しいとねだった。
病気が治ったら食べたい物リスト。
カレー
カツ丼
天麩羅
スパゲッティ
ハンバーグ
母は笑顔で頷いていた。
この病気は治ることはなく、一生涯付き合っていかなければならないと知りながら。
僕も、病気になる前のように自由に食べることは出来ないだろうと、幼いながら気付いてもいた。
リストは書いてはみたものの、それが叶うのかも不安であった。
翌日、母は自宅へと戻り、それから一ヶ月あまりを病院で過ごす事になるのだった。
週末休みの日にはたまに母が来てくれたが、それ以外は独りで。
それはそうだろう。
車で片道一時間半もかけては無理というものだ。
そしてその晩、同じ病室の向かいのベッドに、喘息で入院していた年齢が一つ上の男の子がいたのだが、彼の祖母がジュースと菓子を持って付き添いに来るのだった。
同じ病室である、僕が飲み食い出来ない事など知る由もない彼らは、平然と飲み食いを始めたのだ。
でもそれは仕方ない。
彼らは僕とは違う。
それで良い。
しかも、何を隠そうこの僕もまた、1型糖尿病を患う前までは小児喘息で悩まされていたのだ。
その苦しさは知っていた。
僕はそっとカーテンを閉め、枕を抱えて泣くのだった。




