海月の融解(Ⅰ)
『……あの人は、無事に転生出来たかな。もしなにか不備があったりしたらどうしよう』
目の前の気配が無くなり、ぽつりと零れた弱音。俺──リヴェールノクス帝国幹部並びに作戦参謀総長セオドラ・クヴァレはその言葉を最後に目を閉じ、黙った。
幹部や総統、部下と共に、帝国のさらなる発展を目指し仲間として頑張って生きていたが俺の所為で国は滅んでしまったのだ。
こんな存在が、諦めてしまった俺が、幹部の皆さんと……あの人達と仲間なんて二度と名乗ってはいけないだろう。
自分が巻き込んでしまったから。自分のせいで皆は、苦しんでいるのだから。ループの度に苦しみが強くなっていって。それなのに、自分だけはのうのうと暮らしていて。
あの人は俺に責任はない言ってくれたが、世界を繰り返したのは全て俺のエゴママでしかない。薄汚いエゴに無関係の仲間達を巻き込んで、伝えるべき事を隠して騙して、自分が耐えられなかった責任を全てあの人に押し付けて。
自分はなんて愚図で外道なのだろうか。ぽろぽろと涙が頬を伝っていく。
俺は、あと1つだけあの人に隠していることがあった。俺にとっての一番の贖罪で、一番後悔していること。
あの国が滅んでしまうことになった元凶は俺だった。
一回目の世界。軍基地に敵の一斉襲撃があった。世界大戦といっても良いほどに大きな戦争があった後だったから、幹部の皆は疲弊しきっていて。
それは兵士達も同じで。襲撃に誰も気付けなかった。いや、俺だけは気付くこと出来たかもしれないのに。
その日は戦争があってから暫く間が空いた平和な日だった。訓練も穏やかなもので、諍いによる喧嘩もない、軍では年に1度あるかないかの何事もない平和な日だった。
その日俺は、中庭で一般兵が数人集まっているのを見かけた。其処で兵士の上司である幹部や総統に報告をしていればよかったのに。
……俺は訓練をしていると思い素通りしてしまったのだ。使用願届なんて、出されていなかったのに。
いつも、誰よりも強く優しい皆が、戦争後の後始末で些細なことにすら気づけなくなっていた。俺は、俺だけは、違和感があることに気付けていたのに、それを気の所為で片付けて。
そのせいで敵につけいる隙をつくってしまったのだ。ほんの些細な、小さな小さな違和感とはいえ常ならば報告していただろうに。報告しなかったのだ。
──それも仕方がないことだった。疲れていたのは、なにも幹部や総統だけではない。セオドラだって疲れていたのだから。皆が皆仕方がないと言ってくれるだろうほどに、彼は疲れていたのだ。
中庭までの廊下を歩いていたのだって、三日ぶりの睡眠をとるためだった。むしろその状態で周囲を見ていたことは褒められるべきである。
それでも、彼は自分を責め続けているのだ。ずっとずっと、永遠とも思うほど長い間
あのとき、俺が敵の襲撃に気づけなかったから、参謀長だというのにまともな作戦1つたてられなくて。
『その結果、皆さんを殺してしまう原因になってしまった。ハハッ、やっぱり全ての元凶は俺じゃないですか……』
もう、全身の殆どが空気に溶けていた。サラサラと音を立てて崩れることもなく、ただ溶けていく。まるで海月の死に際のように、深海のような空間に溶けていく。ああ、一番はじめと何度目かの世界で皆と行った海はとても綺麗だったっけ。
あの人を、最後の世界の自分へと成り代わらせた。俺の存在はあの人と入れ替わる事になる。
当たり前だ。同じ存在は同じ世界には一緒にいることは出来ない。それは絶対不変の理で、何者にも変えることの出来ない唯一絶対のルールなのだから。
そして、神の奇跡といってもいいことを、人の身でありながら起こしてしまったのだ。少なからず代償はある。それが、俺の存在と自我だっただけの話。それは何者にも変えられない。
……まぁ、あの軍専属研究者であるあの博士達ならばどうにかしてしまいそうな気がするけれど。
『俺はがんばれたんでしょうか……あぁ、でも、最期に会えたのがあの人で、よかったぁ』
この身体が溶けきったらどうなるのだろう。今のペースならばあと30秒もせず存在が全て消えて消えてしまうのにそんな風に考えてしまう。
何度も死んでいるはずなのに、いつもいつも死ぬ瞬間は怖い。固く固く目を閉じる。もう二度開けなくなるだろうが、それでもいい。それでいい。ああ、それでも、願わくば、最期にみるのは、楽しかったあの人たちとの記憶が良いな。
暗転
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カチャリと食器の擦れる音がした。暖かな紅茶の香りが鼻腔を擽る。俺は、きつく閉ざしていた目を開いた。
瞬間、柔らかで鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる。
「お、やっと目を覚ました?」
優雅に茶器を扱い紅茶を飲む存在。俺が目を開いたからか、優しく微笑んでいる。浮世離れした美しい造形と微笑みは、作り物めいた冷たさを持っていた。
何故目を開くことが出来たのか、自分は消失してしまったのではないのか。目の前の存在はなんなのか。ぐるぐるぐるぐる思考が回る。
「そんなに考えなくてもいいじゃないか。後で答えてあげるからさ。まずはお茶飲んだらどうだい?」
『……いえ、お気遣いなく』
その声に拡散していた思考を集約させ、周囲をつぶさに観察する。
二階の床を抜いて作られた吹き抜けに、燦々と太陽光が入り込む天窓。そのくせ壁は本棚で、びっしりと本が詰まっていた。
謎の存在の後ろにも大きな窓があり、花が咲き乱れた庭園が見える。もっともその花達は季節も色も無視したごちゃ混ぜ状態だったが。
「警戒しなくていいってば、あの庭園綺麗でしょ。植物のヤツが植えてくれたんだ。オシカツってやつらしい」
『そうなんですか』
「ピリピリしてるねぇ。仕方ない、ちゃんと自己紹介してあげようじゃないか」
ソレはそう言うと、今まで隠していただろう存在感を出しながら朗々と自己紹介をした。
「ボクは管理を司るモノ。といっても主に行っているのは世界間の管理だけど。名称はないけど、キミ達人間からはよく神様と呼ばれているね。うんうん、気軽に神と呼ぶといい」
茶目っ気を見せたかったのか、最後にはウインクをこちらに投げてくる自称神。多分、本当に神なのだろう。そうでないと消失したはずの俺が此処にいる理由が分からない。
「そうそう。キミってば神達の間で人気者なのさ。いつの間にか色んなヤツがキミを知っている。ボクが最初にキミを見つけたのにね」
『それはそれは、ありがとうございます。それにしても、口を開かなくていいなんて随分と楽ですね』
「自分の空間だからさ。ここを出たら管理しきれないよ」
皮肉混じりに神と会話をする。神は気付いているのかいないのか、皮肉に反応することはない。そんなものだと紅茶に手を伸ばした。
『紅茶、いただきますね』
「ああ、それがいい。それはボクの信者達が供えた中で一番美味しいらしい紅茶さ
そろそろキミの疑問に答えてあげよう。なんたってボクは優しいからね。自己紹介はちゃんとしたし。まずは何かな、何故キミが消失していないかだっけ?」
『そうですね。おや、本当に美味しい』
神が用意した紅茶はなるほど確かに、香り高く柔らかな口当たりが美味しかった。と言っても、珈琲派なので違いは然程分からないが。
「キミも肝が座ってるね。普通神の前で神の用意したモノは口に出来ないだろうに。きっとそんな所がアイツらの琴線に触れたんだろうね
おっと、脱線してしまったよ。そうそう、キミが消失しなかったのは神の中でキミが人気者だからさ。それ以上でも以下でもない。これでいいかい?」
『何故、私が人気者なのでしょうか』
「簡単な話さ。キミの人生が観察に値するものだったから。キミが仲間と呼ぶ存在を救う為に何度も何度も挑戦している所がボク達のお眼鏡に叶ってね。神の間で人気のコンテンツになっていたのさ
人間とは面白いね。決して元には戻らないのに過去に縋って、信念の為に何度も繰り返せる」
滑稽だと笑う神を殴りたくなった。が、それもきっと無駄なのだろう。神と人間を同じ土俵で比べても無意味でしかない。
「キミは自分の求める最初の仲間でもないのに必死に救おうとして。世界毎にドラマを造っていく。ボクは運命を司るモノではないからね、キミの未来は分からなかった。だからキミの行く先を見るのが好きだったよ」
『お待ち下さい。その言葉で行くとやはり』
「そうさ! キミが救おうとしていたのはキミの大切な、救いたいと願った仲間じゃない。並行世界上の同一存在なだけ。キミの知ってる仲間は誰一人いないんだ。残念だったね」
無情にも神の口から出たそこ言葉は、俺の口を閉ざすのには十分だった。
「キミは一番最初の世界が忘れられなくて無様にも別の人間に縋っていただけさ
世界も、歩んできた歴史も、何もかもが違う。自分のことを知らない人間は、キミが探し求めている存在だと言えるのか。いや、言えないね
これは人間のが言っていた言葉の引用だが、人間とはそれまでに積み上げてきた関係や感情により形成されるらしい。つまりまったく同じに歩もうとしても、キミの大切な存在は二度と生まれないんだ。キミが記憶を持っている限りね
ただ姿形が似ているだけの人間を救おうと必死になって。死んで殺して殺されて。凄く楽しかったよ。とても良い暇つぶしになった」
満足気に笑う神を横目にもう一度紅茶を飲む。どうせなら珈琲が良かった。それにお茶請けのお菓子もない。
代わりの長ったらしい御高説は、お茶請けにすらならない粗末なものだった。
「それならおかわりは珈琲を用意しよう。……それにしても、もっと面白い顔を見せてくれると思ったのに。キミってば全然絶望した顔をしてくれないじゃないか」
『そう言われましても、気付いていましたから。私が会いたい人達ではないことを。これでも色々な本を読み、生きてしまっていますから。浅学ですが、思考実験くらいは存じております
私には関係なかったんですよ。姿形が同じなだけで良かった。ただ忘れられなかっただけ。忘れたくなかったから繰り返しを願った。それに、姿形が同じ人を助け出せれば、この後悔も少しは軽くなると思っていたんです』
その結果、諦めて引きこもって。なんと滑稽で惨めなのだろう。
『私はエゴママを関係のない人達に押し付けていただけの、ただのクズ野郎ですよ。とんだ大罪人ですね、私』
「つまんないの」
『貴方にとってはそうでしょうね』
ぶーたれる神を横目に、紅茶を一息で飲み干した。確かに美味しい紅茶だった、と思う。
それでも、仲間が失敗したと淹れてくれたものの方が何倍も美味しかったと感じる。まだ、自分にも感情があるのだと安堵した。
『そもどうして私は生を繰り返したのですか。他責になってしまいますが、何度も生きなければ、一度も蘇らなければ、こんな苦しむことはなかっただろうに』
「簡単さ、ボクがキミを気に入ったからだよ。いや、好きなんだ。愛していると言っても構わないね」
神はおもむろにコーヒーカップを取り出し、俺の前に置いた。白い湯気がのぼっていく。色とりどりのクッキーやマフィンも現れた。
「最初はキミの表情が気になったんだ。人間にしては綺麗な顔だったし、コロコロと転がすように変わる表情は観察していて飽きなかった。どうしてもどうしても心が惹かれて。人間はコレを恋というらしいね
不思議だったよ、恋なんて初めての経験で。だからね、欲しいと思ったんだ。人形としてボクの空間に飾ろうと思ってね
で、そうなってくると感情を消さないとだろう? 喋る人形なんていないからね。別に神だからいらないものを消すことは簡単に出来る。けれど、それだとつまらない。だからね、境界のと転生のにかけ合ってキミに世界渡りをさせたんだ。繰り返し続ければいずれ心が壊れて人形になると思って」
いとも容易く行われていた残酷な所業に、血の気が引いていく。神とは何処まで理不尽なのだろうか。
こころなしか気分も悪い。酸素不足か、感覚が遠くなってきた。
「で、どうせだからってその様子を観察していたのさ。でも、キミ心が強すぎてなかなか折れないし壊れない。そのうち他のヤツらまでボクの所に観に来るようになってね。だからキミは神達の中で人気者なんだ」
『あまりにも、なんで、っ』
「そうそう戻すね。あと少しで人形になるって所でキミは繰り返さなくなった。なんで! って思ったら、人間のと運命のがボクの所に怒りに来たんだ
また、なんで! ってなったよね。それで、人間で遊ぶなって。ずっとずっと、それこそ100年間はずっと怒られてしまったよ。運命のは何かを見たのか頼まれたんだろうね。でないと、全てがわかっているアレが干渉するはずがない
で、聞くと境界のと黄泉のを脅してキミを隔離したらしい。キミを気遣ってのことらしいけれど、人間はひとりぼっちでいると気が狂ってしまうのに。配慮が足りないよね」
『人の形をした理不尽ではないですか。貴方も、他の方々も』
「当たり前だろう? ボクは、ボク達は神だ。理の外、創る側の存在だ。ボク達に秩序はあれど決まりはない。強いて言うならボク達こそがルールだ。ボクが人型なのも気分でしかない」
珈琲を口に含み苦い苦いと騒ぎ笑う神は、文字通り無邪気だった。善も悪もない、ただ自分が思った通りに遊んだだけなのだ。手が震える。
「さて、またもや脱線してしまった。何分、人間と話すのは初めてでね。大目に見てほしい
そしてお説教の後、キミを見てみると何やら面白そうなことをしていたんだ」
『ゲームのことですか』
「ゲームとやらを作ることもそうだね。だけど、一番驚いたのは心が折れていないことだよ。キミは随分愛されているね。全てのモノを惹きつけて止まない、魔性の人間だ
で、観察していたらキミが消失しようとしているじゃないか。凄く凄く、すっごく焦ったよ。あれは、秩序を壊しかけた時以来の焦りさ。全ての神達に連絡を入れて、ギリギリの所でボクの場所に引き摺り込んだという感じだね」
大袈裟な身振り手振りで説明する神。感情の揺らぎは一切見て取れない。
そんな異質さを感じ取り、ようやく自分が神に対して恐怖を抱いていることに気がついた。俺はこんなにも鈍かっただろうか。
「そんな怖がらないでもいいじゃないか。こうして助けて上げたのだから」
『……元凶が、何を言いますか』
「そんな怖い顔をしなくても。キミが望んだんだろう? もっと一緒にいたかったと。生きていてほしかったと。ボクはそれを叶えただけさ
未来ではどうせキミは手に入る。だから、人間共に貸してやっていたんだよ。ほら、ボクってば優しいからね」
もう言葉を紡ぐことすら出来なかった。神に何故を問い、道理を解くことほど無駄なことはないことを、今初めて知った。
項垂れた俺に、神が手を寄せて来る。思わず叩き落とした。
「びっくりしたぁ。どうしたんだい? ああ、もしかしてびっくりし過ぎたのかな。それとも……ようやくクスリが聞いてきたのかな。まあどちらでも良いね。大丈夫だよ、その感覚に身を委ねるのが良い。怖いことなんて何もない。ただ、キミは綺麗な綺麗な人形になるだけだからね」
一切驚いていない神。その言葉に答える気力も湧かない。ギリギリで保っていた精神が、心が擦り切れそうになる。
「大丈夫、ボクはキミを大切に愛すさ。ほんとにほんとうさ。ほら、だからそんないらない物は手放してしまおう」
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