教授と少女の前日譚(Ⅱ)
以上が事の顛末である。
「結局本当に百点を取ってしまうんだから、凄い人ですよ」
写真を撫でながらぽつりと零した。
写真の中では、今よりも若い私が数人の男に囲まれ笑っている。学生時代の友人達との写真だ。
毎年同じ日に撮っていたもので、見るたびに懐かしい日々を思い出させてくれる。
そうは言っても、六枚目以降は二度と増えることはなくなってしまったけれど。
「やっぱり、ちょっとだけ似てますね」
きっと、気の所為だろうけれど。記憶の中の彼らと画面の中のキャラクター達の雰囲気が似ていた。
「とても面白いゲームでしたよ。キャラクターだけでなく、長編ストーリーも良くて。貴方達も一緒に出来たら、なんて考えてしまいました」
新たにカップを取り出し写真の前に紅茶を置く。柔らかな湯気が天井に吸い込まれていった。
「ゲームもちゃんとクリアできて嬉しかったですしね。ふふ、貴方達に似ていたから、私凄く頑張ったんですよ」
そうだ。無事ハッピーエンドに辿り着けたわけだが、紫苑さんは何時来るのだろうか。
常ならばもうとっくに来ているのだが。小テストがあったため今日は来ないのか。そんな風に考えていると。
「紫苑さんはいつ来るんでしょうね」
「呼びました?」
「うっ、こほ、紫苑さん?!」
後ろから紫苑さんの声がした。ノックどころか気配もなかったのだ。
あまりにも驚いたため、息を吸い間違えてしまったではないか。後ろを向くと、歪んだ視界越しに紫苑さんが手を振っているのが見えた。
「不詳水橋紫苑、お邪魔しに来ました! あ、ご友人さん達もこんにちは」
「いつもありがとうございます」
「いえいえ、やりたくてやっているだけなので」
私の元まで来た紫苑さんは写真に対して手を合わせる。そんなことしなくてもいいのに、律儀な人だ。
職場に私情を持ち込むのは良くないと分かっていても、研究室には写真やアルバムがある。彼らのおかげで今があるため、どうしても持ってきてしまうのだ。
ひとしきり手を合わせると、紫苑さんはくるりとこちらを向いた。
「ゲームの進捗はどんな感じです? やっぱりハッピーエンドは難しいですか? あっ、できなくても気にしなくていいですからね。布教出来ただけで嬉しいので」
「はぁ、もう少しお淑やかにできないんですかね」
「あ、すみませんが教授、私は今も十分お淑やかですよ。そうそう、私にも紅茶ください! 小テスト百点取ってたでしょ? ご褒美ご褒美」
「それでお淑やかって、巴御前もびっくりですよ。確かに百点取っていましたけどね。君の図太さにはほとほと感心します」
仮にも准教授に対して紅茶を揺する紫苑さんに笑いながら、紅茶を淹れる。
今日の茶葉はキームンのだからか、いつもより紅茶の色が暗い。暗い湖面に電灯の光が反射し、星空のようにも見えた。
「そんな褒めないでくださいよ教授。そりゃあ私は完璧美少女大学生なんですけどね!」
あまりにも高い自己肯定感に再度声を上げて笑う。
確かに彼女は美人だ。性格も良い。だが、そのパワフルさと奇想天外さにはなかなかついていける人がいない。
それでもやっぱり目立つのだろう。校内で見かける紫苑さんは、いつも人に囲まれていた。
「んふふ、はいはい。紫苑さんはミルクとお砂糖いりますか?」
「なんだかんだいいつつ淹れてくれるあたり、教授は優しいですね……ありがとうございます」
「褒めてます? それ……あと、私は教授ではなくて准教授です」
「まぁまぁ、細かいことは気にしない気にしな〜い、ですよ! 教授」
また教授と呼ばれた。紫苑さんの顔に悪意はなく、本気で思っていることなのが読み取れる。
私は紫苑さんや他の学生から、教授と呼ばれることが多々あった。その度に嬉しいような苦々しいような、なんともいえない気持ちに包まれる。
というのも、そのあだ名のお陰で上層部から目を付けられているのだ。いや、あだ名だけではないのだが。
三十代前半で准教授という異例の出世、比較的年齢が近いからか学生達からも嬉しいことに好かれている。
それだけでも十分目の上のたんこぶなのだが、煙たがられる理由は他にもある。
実は、前理事長の横領を告発したことがあるのだ。
それは偶然だったのだが、他はそう思っていないのかなんなのか。甘い蜜を吸っていた取り巻き達から恨みを買ってしまった。
なまじ権力者が多かったから、講師や教授の間ではすっかり村八分状態。
そこに加えてのこのあだ名。……今ですら針の筵状態なのに、これ以上反感を買ったらどうなることやら。
……まぁ、生徒達から呼ばれるととても嬉しいものなのだが。
ソファーに腰掛け、紅茶をお供に紫苑さんと議論を重ねる。本来の目的は、頭の中からすっぽりと抜けていた。
カチリと一際大きな時計の音にようやく目的を思い出す。
私はスマホを手に取りいそいそとゲームを開いた。
「そうだったそうだった。ゲームなんですけど、」
「あぁ、さっきもいいましたけどハッピーエンドじゃなくても気にしないでくださいね。ほんとに布教出来ただけで良かったんで」
「いえ、そうではなくて、ハッピーエンド迎えられましたよ?」
「……も、もう一回いってくれませんか。聞き間違いかな。ハッピーエンドになったって聞こえたんだけど?」
「聞き間違いじゃないですよ。ちゃんとハッピーエンドです。ほら」
そう言いながら、紫苑さんにスマホの画面を見せた。
そこには豪華なイラストとともに流麗な『HAPPYEND』という文字が映っている。意図せずともこの間とは逆の構図になっていた。
「ア、イェェェう? え、ほんとに存在するんですか?! え、コラ画像……は教授がそんなことする訳ないです、そもそも作れないし。え、ほんとにほんとにほんとですか?!」
「そ、うですよ? 紫苑さんが言ったんでしょうに。ハッピーエンド頑張ってくださいって。なのに、存在を疑うなんて、」
「あたり前じゃないですか! 今まで1000万回近くプレイされてるのに誰一人として辿り着いたことがないんですよ?! これはファンにとっては垂涎ものですから!! いや、垂涎どころじゃないです。教授教授、どうやって辿り着いたんですか? 教えてください」
そう言うが速いか、紫苑さんはワイシャツの襟を摑んで揺さぶった。
合気道のために鍛えられた彼女の腕力とスピードに、一般人並みかそれ以下の私は目を回す。ほら、そういうところがお淑やかじゃないんですよ。
「そ、そんな頭を振らないでくれないですかぁ。あ、頭がグワングワンする、ぐっぅ」
「あっ、ごめんなさい。つい、気持ちの昂りが抑えられなくって」
「う〜、まだ目がぐるぐるする〜」
「だっ、大丈夫ですか教授? ほんとにごめんなさい!」
「うん、目眩はするけど大丈夫です。でも、次からは気をつけてくださいね。貴女合気道極めてるんですから。私の頭がもげたら大変ですからね」
静止の声が聞こえたのか、紫苑さんはようやく手を離した。
それにしても、其処まで興奮するようなものなのだろうか。確かに、この画面が出てきたときはとても嬉しかったが。
「で、教授はどうやってハッピーエンドに辿りついたんですか? サービス開始から何年経っても見つからなかったのに……」
「どうって普通にゲームをプレイしてたからクリアできたんですよ?」
「その普通がわからないから困ってるんですよ! ………まぁ、教授なら出来る気がしたんですけどねぇ」
「出来る気がしてたって? それはなんでですか」
「多分教授は一生気付けませんよ。そんなことより、もっとよく見せてください!」
紫苑さんはスマホをひったくるように奪った。
──照れ隠しも混ざっているその行動の意図に、瀬央はやはり気が付かない。
「あぁコラ、人の物は奪わないで。それと、そろそろ帰路につかないといけない時間帯ですよ」
「わかってますって〜。人を泥棒みたいにいわないでください!! っというか、もうそんな時間なんですね。気付かなかったです」
最近は急激に寒くなってきましたね~なんて言いながら外を見る。
外は真っ暗とまではいかずとも外灯がないと不安になってしまうような、そんな暗さだった。
「私もそろそろ帰らないとですし、途中まで一緒に行きましょうか」
「了解しました! それじゃあ教授、はやく準備してくださいな」
「分かった分かった。そう急かさないでください。まったく、調子がいいんだから」
正面玄関から出るときには夜の帳は折りきっていて、周りにはまばらに学生や講師がいるだけだった。
皆外灯や研究室の光を頼りに歩いている。入り口に立つ警備員に挨拶をして大学を出た。
そろそろお鍋やおでんの美味しい季節です。教授って大人しい見かけなのに結構食いしん坊ですよね。私達はそんな他愛ない会話をし、駅へ向かっていた。
「?前から歩いてくる女性、なんか振らついてますね。ぶつかるといけないから少し避けて歩きましょう。少しそちらに」
「そうですね。ぶつかって怪我させちゃったら大変ですし」
前から小綺麗な女性がふらふらと歩いてきた。まだ呑むには早い時間帯だが、酔っぱらいだろうか。紫苑さんに声をかけ端に寄ろうとした。
その時だった。前から歩いてきていた女性が、鞄からナニカを取り出し私達の方へ全力で走ってきたのは。
「よ、避けて!」
ドスッ
そんな音がしたかと思うと身体に凄まじい、しかし鈍い衝撃が走った。
じわじわと広がっていくその衝撃に、思わず膝をつく。
──キッ、キャァァァァァァァァ
その姿をみていたのだろう、絹を裂くような悲鳴。それを皮切りに動揺が広まっていく。
──オイ、なんかあそこやばくないか?
──どう見てもヤバイだろ?! 誰か先生、違う、警備員呼んで来い!!!!!
──ね、ねぇ、刺されたのって白詰先生じゃない?
──誰か、速く救急車を! 警察も!
耳に言葉ともとれない雑音が流れ込んでくる。
いつまでも降ってくる衝撃に目を開いた。身体の上に髪を幽鬼のように振り乱した女性がまたがるように乗っている。重さは、感じない。いや、感覚が遠くなっているのか。
何故私は倒れているんだ。それよりもこの女性が振り回しているのって……包丁? 私は、刺されているのか。
身体の下には温かい水のようなものが流れてきた。風呂に入っている気分だった。
寒くなって来たからちょうどよかった。あぁ、でも、徐々に寒さが上回り始めてる。寒い、な、さむい、サムイ。寒くて、冷たくて仕方がなかった。始めて体験する寒さだった。
全身が液体窒素に浸されたかのような、血管を氷水が通っているような、とにかくとても寒かった。
そして、痛かった。とてもとても痛かった。身体的なものだけではない。心が。心がとてもジクジクと痛んだ。被害は自分だけだろうか。
自分も彼らのように、大切な人達を、守れたのだろうか。周りを見ようにも血液が足りないのか、身体が痺れて動かない。
突き刺さる包丁が抜かれる度に血液という血液が出ていく感覚がする。寒くて寒くて、全身が震え始めて、
あぁ、私死ぬんですね。でも、寒さで麻痺してあんまし痛みを感じないのはよかったの、か、な?
視界がぼやけ、言葉ともとれなかった周りの雑音すら聴こえづらくなってきた。もう少しだけ生きていたかった。せめて、担当している生徒達が卒業するとこは、みた、かった、なぁ、
そんなことを考えている間でも身体にはずっと衝撃がきていた。ドスドスと肉を刺すような音が身体を伝って脳に直接流れ込んでくる。
やっぱり、寒い。ずっと寒い。きっと、あの日からずっとずっと寒かった。目の前が白み始めた。
一番近くにいたから。見ることが出来たから。最期の最後に聞こえてきた音に目を見開いた。
「ワタシはあの方達に愛されるために生まれてきたの♡ で、でも、あの方達はワタシに会いたいのに、ワタシが生まれる世界を間違えちゃったから……。でも、もうダイジョウブ♡ イケニエを見つけたから……
今会いに行きますわ、エリアス様♡ もちろん幹部の皆様だってワタシが救ってあげるんだから
……こいつだけじゃ足りナイもっとイケニエを用意シなイと」
こいつは今何を言ったのだろうか。もっとって、私だけじゃなくて、そうだ、彼女はどうなった。紫苑さんは、逃げられたか。
そう思い、無理矢理力を込めて周りを見てみる。白んでぼやける視界に、夜闇に流れる金髪が見えた。見えて、しまった。
「に、げろ」
「アッアッ、きょ、きょうじゅ、?あれ?おっおかしいな血が沢山でてる?きょーじゅがしんじゃう?死?……あ、いや、あ、ぁあい、ぁイヤァァァァァァ」
「あら♡ ちょ〜どいいところに追加のイケニエがぁ」
女は私の上から退き、彼女の方へと向おうとしていた。そんなことさせない。あの子達は私が、守るんだ。
ガシッ
「ま、まてごらぁ、。グッ、ゲホゲホ。はぁはぁ、わたしの…………わた、っしの生徒達には、手ぇ出、すなぁ……ぁ……カホッ」
「はぁ〜? その汚い手で触んないでよ! ワタシに触れていいのは幹部の皆さんとエリアス様。つ、ま、り、ワタシの未来の旦那様だけなんだから!!!」
そう吐き捨てたかと思うと、女は手を踏みつけ、顔面を蹴った。
その衝撃で思わず手が離れる。ああ、クソ。絶対に手出しさせない。生徒に危害を加えるな。
「イケニエの分際でこのワタシに触るなんてっ!ッはぁ〜サイっアク
………あっ、あの下品な金髪女がアンタの生徒? ワタシ優しいから〜あの女も一緒に送ってあ・げ・る♡」
「ッし”、じぉん”ざん”ッはや、ニげテ」
暗転
++++
『───本日午後6時頃、○○県の大学にて殺傷事件がありました。
怪我人は10名。病院に運ばれましたが2時間後、2名の死亡が確認されました。内一人が大学の准教授、もう一人が大学に通う生徒だったようです。
なお、犯人は奇声を発したかと思うと、その場から逃走。その後近くの川で死体の状態で発見されました───』
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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