第8話 作戦立案
第6章:作戦立案
10. モンスターの解剖
三人の反逆者が、初めてアジトに一堂に会した。ひやりとした地下の空気の中に、三者三様の覚悟と緊張が混じり合う。エリスが淹れたハーブティーの香りだけが、その殺風景な空間に、わずかな人間味を与えていた。
彼らは、来る日も来る日も、カサンドラのデータ解析に没頭した。
それは、巨大なモンスターを、解剖していくような作業だった。
「……やはり、オラクルの本体は、三重の物理的セキュリティで守られている」
里見が、空中に浮かび上がった国立国会図書館の立体図を指し示した。その指先からは、いくつもの情報ウィンドウが伸び、複雑なデータを示している。
「第一の壁は、生体認証。虹彩、静脈、声紋。これは、若松とかいう、あんたの元秘書官が持ってるセキュリティカードで突破できるだろう」
若松からの、贖罪のメッセージは、結城の元に届いていた。
「……彼なら、協力してくれるはずだ」
結城は、答えた。
「第二の壁は、量子暗号化されたデータ回廊だ」
アジトのメインスクリーンに、ビデオ通話で参加しているエリスの顔が映し出される。その表情には、自らが設計したシステムを前に、深い苦悩の色が浮かんでいる。
「……ここは、私が仕込んだバックドアを使う。開発者である私にしか開けない、秘密の通路よ。だが、一度使えば、神崎にもすぐに気づかれる。チャンスは、一度きり」
「……そして、最後の壁」
里見が、立体図の中心、赤く点滅する一点を指した。
「……オラクルの心臓部、『ゼロ・サンクチュアリ』。ここは、外部からのいかなる電子的なアクセスも遮断されている。物理的に、そこに辿り着くしかない」
11. 絶望的なシミュレーション
「……一つだけ、方法がある」
沈黙を破ったのは、ビデオ通話で参加しているエリスだった。その声は、常の冷静さを保ってはいたが、わずかに硬質だった。
「……私が、陽動を行う。私が表舞台に姿を現し、メディアの前で、神崎とオラクルの危険性を告発する。世間の注目が私に集まれば、ほんのわずかな時間だが、ゼロ・サンクチュアリの警備に、隙が生まれるはず」
「無茶だ!」結城は思わず叫んだ。「そんなことをすれば、あなたは……! 神崎が黙っているはずがない!」
「その陽動とやらが成功したとして、だ」里見が、冷ややかに会話に割り込んだ。彼は、結城の感情的な反応を鼻で笑うように、ホログラフィック・ディスプレイに新たなウィンドウを呼び出した。「バックドアを使えば、神崎の私的な監視網に、即座にアラートが飛ぶ。システムの防御AIが俺たちの痕跡を追跡し、ゼロ・サンクチュアリへの全ての物理的隔壁を閉鎖し始める。そのシミュレーション結果を見せてやるよ」
里見がコンソールを叩くと、アジトの中央に浮かぶ国立国会図書館の立体図に、二つの青い光点が現れた。結城と里見を示す光点だ。光点は、地下深くへと潜っていく。だが、エリスのバックドアを通過した瞬間、立体図の至る所が赤く点滅し始めた。無数の赤い光の線が、迷路のような通路を驚異的な速度で塞いでいく。
「防御AIの反応速度は、人間の思考を遥かに超える。隔壁の閉鎖シーケンスが起動するまでの猶予は、楽観的に見て、わずか384秒」
青い光点は、必死に赤い壁を避け、最短ルートを進む。だが、最後の隔壁、ゼロ・サンクチュアリの目前で、ついに赤い光の津波に飲み込まれ、無慈悲に掻き消された。ディスプレイには、冷たい文字が浮かび上がる。
【MISSION FAILED. SURVIVAL PROBABILITY: 0.2%】
「……失敗確率、99.8%。話にならねえ。これは自殺行為だ」里見は、吐き捨てるように言った。その声には、苛立ちと共に、目の前の壁の高さに対する、ハッカーとしての屈辱が滲んでいた。
アジトに、重い沈黙が落ちる。計画は、早くも絶対的な壁にぶつかった。結城は、唇を噛みしめた。自分には、この男のような技術はない。エリスのような知識もない。ただ、無力感だけが、彼を打ちのめしていた。
「……何か、何か方法はないのか。AIの予測を超えられるような、人間的な……非合理な要素は」
その時、結城の端末に、暗号化されたメッセージが届いた。ディスプレイに表示された差出人の名に、結城は目を見開いた。若松からだった。
「……待ってくれ。若松からだ」
結城がメッセージをメインスクリーンに転送すると、そこに表示されたのは、ゼロ・サンクチュアリの警備システムの、古い設計図の断片だった。それは、あまりにアナログで、このデジタル化された世界には場違いな、手書きの注釈さえ入った画像データだった。
「……なんだ、こりゃ。博物館の展示物か?」里見が、眉をひそめる。
だが、エリスが、その意味に気づいた。彼女は、画面を拡大させ、その一点を凝視した。
「……これ、ゼロ・サンクチュアリの電源系統と、警備ドローンの制御システム……信じられない。今どき、こんな旧式の物理ヒューズ回路が残っているなんて」
若松からのメッセージが、続く。
『――この部分は、ネオ・ラッダイト運動のテロ対策として、十数年前に後付けされた区画です。そのため、ネットワークから意図的に切り離され、旧式の物理防御に頼っている。高出力の指向性EMPに対して、極端に脆弱なはずです』
「……EMPだと?」里見の目が、初めてギラリと光った。「そんな旧時代のガラクタ、どこで手に入れる」
「……心当たりがある」エリスが、静かに言った。「私の知人に、ネオ・ラッダイトにシンパシーを持つ、腕利きのジャンク屋がいるわ。彼なら、まだ動くものを調達できるかもしれない」
絶望的な暗闇の中に、細いが、確かな光が差し込んだ瞬間だった。
「……で、オラクルのオリジナルデータまで、どう侵入すんだ。セキュリティは甘くねぇぞ」
「里見でも侵入できないのか?」
「できねぇよ」里見は吐き捨てた。「オラクル自身が、門戸を広げてくれねぇ限りな」
里見のその言葉が、エリスの思考に、最後のピースをはめた。
「待って……」エリスの声が、緊張を切り裂いた。「……一つだけ、見落としていたことがある。オラクル自身が門戸を広げる……そうよ、その通りなのよ」
彼女は、結城に、古びたUSBキーのようなもののデータを送った。
「……これは、オラクルの『アナログ・キー』よ。システム設計時に、万が一の物理的な暴走に備えるという目的で仕込んだ、物理的な認証ポート。ハードウェアレベルの脆弱性に対処する意図でシステムに介入するから、AIには認識できないの。これに、少し手を加える。ゼロ・サンクチュアリのメインコンソールに差し込めば、カサンドラの全データを全世界に公開する、最終プロトコルが起動するように」
結城は、その小さなキーのデータを、強く握りしめた。
それは、あまりにも重い、バトンだった。
12. 最終作戦
アジトに集う、三人の反逆者。古いホワイトボードに書き出された作戦計画を前に、彼らは、それぞれの想いを胸に、沈黙していた。ひやりとした地下の空気の中に、オゾンと埃の匂い、そして三者三様の覚悟と緊張が混じり合う。
決行は、三日後。国連総会で、神崎がオンライン演説を行う、その時間。世界の目が、偽りの平和を語る神崎に注がれる、その裏で、彼らは歴史を覆す。
作戦の全貌は、あまりにも綱渡りだった。
【フェーズ1:陽動】
エリスが、その伝説的なハッキング技術を使い、国連総会の公式放送にオンラインで割り込む。彼女は自らの正体を隠し、「カサンドラ」と名乗り、計画の存在を世界に匂わせる告発映像を流す。目的は、世界の注目を一身に集め、神崎とオラクルの監視リソースを、物理的な警備からサイバー空間へと引き剥がすこと。
【フェーズ2:潜入】
その隙に、結城と里見は、若松の手引きで、国立国会図書館の地下へ潜入する。若松が命懸けで提供する、メンテナンス業者用の偽造IDと、一瞬だけ開かれるサービス用ルート。失敗は許されない。
【フェーズ3:突破】
里見が、エリスの仕込んだバックドアを使い、量子暗号回廊を突破。ゼロ・サンクチュアリへの道を切り開く。この時点で、神崎の私的監視網に、最高レベルのアラートが飛ぶ。残された時間は、わずか数分。
【フェーズ4:暴露】
ここからが、時間との勝負だ。里見は、陽動として政府の非基幹システム――水道、交通、気象情報といった、パニックは引き起こすが人命には関わらないシステム――に、大規模なDDoS攻撃を仕掛ける。オラクルの監視リソースを、ゼロ・サンクチュアリへの侵入者追跡と、市民生活の維持との間で分散させ、数秒の時間を稼ぐ。
その間に、結城が単身でゼロ・サンクチュアリに突入。警備ドローンをEMPで無力化し、オラクルのコアユニットに、エリスから託されたアナログ・キーを差し込む。それが、カサンドラの真実を、全世界に暴露する、最後の引き金となる。
一つでも歯車が狂えば、全てが失敗に終わる。
里見は、腕を組み、鋭い目でホログラムに映し出された計画の穴を探している。結城は、自分がこれから背負うことになる世界の運命の重さに、唇を固く結んでいる。エリスは、ビデオ通話の向こうで、ただ静かに、自分の役目がもたらすであろう結末に、思いを馳せているようだった。
「……なあ、元大臣サマ」
不意に、里見が口を開いた。
「……もし、これが全部終わったら、あんた、どうなると思う?」
「……さあな」
結城は、自嘲気味に笑った。
「……英雄になるか、それとも、世界を大混乱に陥れた、史上最悪の犯罪者になるか。……どちらかだろうな」
「……ケッ。どっちでも、俺には関係ねえ。俺は、このクソみたいなシステムをぶっ壊せれば、それで満足だ」
里見は、そう吐き捨てると、自分のコンソールへと戻っていった。
――寂しいのか。あんたも。
結城は、その背中から目を離すことができなかった。彼もまた、システムに全てを奪われた男。その憎悪の奥底にある虚無感を、結城は感じ取っていた。