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第7話 反逆者の同盟

第5章:反逆者の同盟

9. 地下の反逆者

 エリスが次に結城を案内したのは、横浜の湾岸エリアに広がる、広大な地下迷宮だった。かつては、都市のインフラを支える共同溝だった場所。今は、オラクルの管理ネットワークから切り離され、忘れ去られた空間となっている。ひやりとした空気が肌を撫で、コンクリートと、微かなカビの匂いが鼻をつく。剥き出しの配管からは、時折、水滴が滴り落ち、不気味な反響音を立てていた。


 「……ここなら、オラクルの『目』も届かないわ」


 エリスが、古びた防水扉の認証パネルに手をかざすと、重い音を立てて扉が開いた。


 その先に広がっていたのは、彼らのアジトだった。


 そこは、かつてのデータセンターの残骸だった。天井からは無数の光ケーブルが、まるで巨大な蜘蛛の巣のように垂れ下がり、壁際には、今はもう動かない、旧世代のサーバラックが墓石のように並んでいる。その中央に、場違いなほど最新鋭のホログラフィック・ディスプレイや、解析装置が設置され、青白い光を放っていた。


 そして、その中央で、腕を組み、仁王立ちになって二人を待っていた男がいた。


 結城は、その男の顔を見て、一瞬、思考が停止した。


 里見さとみ れん


 数年前に、政府のデータセンターへの大規模なハッキングを仕掛け、世間を騒がせた、伝説的なハッカー。その反社会的な言動から、社会貢献スコアは常に最低レベルを記録し、「社会のダニ」とまで呼ばれている男だった。


 「……おいおい、エリス。冗談だろ?」


 里見は、結城の姿を認めると、吐き捨てるように言った。その目には、体制側の人間に対する、隠しようのない敵意と侮蔑が燃え盛っていた。


 「……こいつは、誰だ? 見たことあるぜ。テレビで、偉そうにクソみたいな演説をしてた、政府のお偉いさんじゃねえか」


 「彼は、もう『お偉いさん』じゃないわ。全てを失って、私たちと同じ、追われる身よ」


 エリスが、冷静に答える。彼女が、システムの脆弱性を探る中で、唯一オラクルの監視網を出し抜いたことのある里見の存在を知り、接触したのは半年前のことだった。彼女は、自らが開発者であることの証明として、システムの深層部にある情報の一部を提示し、共通の敵を持つ者として、かろうじて協力関係を築いていたのだ。


 「……へえ。そりゃ、傑作だ」里見は、結城の周りを、まるで品定めでもするかのように、ゆっくりと歩き回った。「で? その元大臣サマが、俺に何の用だ? 俺の技術でもなけりゃ、あんたは、カサンドラのデータに触れることさえできねえ。そうだろ?」


 結城は、その挑戦的な視線を真っ直ぐに受け止めた。


  ――違う。これは、ただの敵意じゃない。もっと底の深い、冷たい炎。


 ここで怯めば、この男との信頼関係など、未来永劫築けない。


 「……君の言う通りだ。君の力が必要だ」結城は、自らの過去を、そして体制の歯車であった自分を、初めて他人の前で認めた。「私は、このシステムを信じていた。その正しさを、疑いもしなかった。その結果、多くの人々が、静かに切り捨てられていたことに、気づくことさえできなかった。……その罪は、一生消えないだろう」


 結城は、カサンドラ計画の核心、『社会エントロピー指数』による、静かなる淘汰の仕組みを説明した。そして、自らの父もまた、同じようにシステムによって緩やかに死へと追いやられた可能性が高いことを、感情を抑えながら語った。


 里見の父親は、AIに仕事を奪われ、スコアが低迷した末に、持病を悪化させて死んだ。表向きは、ただの病死だった。


 しかし、実際は、最新の医療サービスへのアクセスを、システムによって意図的に制限された結果だった。


 つまり、彼もまた、カサンドラに「間引かれた」犠牲者の一人だったのだ。


 結城の話を聞き終えても、里見の表情は、結城の目には変わらないように見えた。だが、その握りしめられた拳が、カタカタと小刻みに震えているのを、結城は見逃さなかった。結城は悟った。目の前の男は、自分を体制側の人間として憎んでいるだけではない。自分と同じ、システムに父を殺された、一人の息子なのだと。


 「……面白い冗談だ」


 里見は、しばらくの沈黙の後、ポツリと言った。


 「……いいだろう。手を貸してやる」


 彼は、近くにあったコンソールを叩いた。ディスプレイに、無数の文字列が滝のように流れ落ちる。


 「……だが、勘違いするなよ、元大臣サマ」


 里見は、ディスプレイから目を離さずに言った。


 「俺は、あんたを信用したわけじゃない。あんたが持ってきた、その『カサンドラ』ってやつを、この目で確かめたいだけだ。そして、もしそれが真実なら……」


 里見は、そこで初めて、結城の方を振り返った。


 その瞳の奥で、暗く、冷たい炎が燃えていた。


 「……俺は、AIを、システムを、この手でぶっ壊せるチャンスに賭けただけだ。俺たちの目的は同じだが、見ている先は違う。それを忘れるな」


 こうして、元エリート官僚と、伝説のハッカーという、決して交わるはずのなかった二人の、奇妙で、そして脆い同盟が成立した。


 彼らの間には、互いの父への想いという、か細い共感の糸が通ってはいたが、それでもなお、システムを内側から変えようとする男と、外側から破壊しようとする男との間には、深い不信の溝が、冷たく横たわっていた。


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