表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

一歩進んで、一歩下がる

作者: 宮野ひの

 莉央は、幼稚園に行きたくなかった。許されるならば、ずっと家で絵本を見たり、お人形遊びをしていたかった。


 だけど、ずっと家にいるのは、良いことではないのはわかっている。子どもは外に出てナンボとお母さんも言っていた。


 毎日決まった時間に、家の前に幼稚園の送迎バスが来る。大きな窓から、お友達が澄ました顔で莉央を見る。嫌だ、行きたくないと莉央は反射的に思った。


 莉央が幼稚園バスに乗れなかった日は、おばあちゃんが手を繋いで登園してくれた。諦めて、家で二人で過ごすようなことはしない。


 その日は、どんよりとした雲が浮かんでいた。莉央は、いつもに増して幼稚園に行きたくなかった。


 どうにかして幼稚園に行かない方法はないか考えてみたけど、すぐには思いつかなかった。少ししたら、熱が出たら行かなくて済むとひらめいた。だけど、今の莉央には、どうすることもできなかった。ただただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。


 9時頃、おばあちゃんに手を引かれて家から出た。おばあちゃんは莉央に何か声をかけるわけでもなく、前だけを見つめて歩いた。つないだ手のぬくもりはあったかいのに冷たい。莉央は顔を伏せて、おばあちゃんに置いていかれないように力強くゆっくりと歩いた。


 家から幼稚園までは歩いて15分くらいだ。莉央は憂鬱で仕方がなかった。家の近所にあるパン屋さんの前を通るまではまだ良かった。パンが焼けたいい匂いがするからだ。その時だけは、不思議と嫌なことを忘れられた。


 歩いていると、幼稚園が迫ってくる気配がした。そうなると、いよいよ行きたくない気持ちもピークに達した。


 莉央は「うぅ……」と低い声を出した。おばあちゃんは振り返らない。今なら本当に熱がありそうな気さえした。せめてもの抵抗で、地面を強く蹴る。


 何もしなければこのまま幼稚園についてしまう。


 追い詰められた莉央は考えた。足を前に出すから、目的地に着いてしまう。


 だったら、一歩進んで、一歩下がることを繰り返したら、永遠に幼稚園につかないのではないかと。


 良いアイデアだと思った。立ち止まったままではいられないからこそ、足は常に動かしている必要がある。


 前、後ろ、前、後ろ。うん、いい感じだ。早速、実行に移してみることにした。


 すると先程まで無言だったおばあちゃんが、「どうしたの?」と振り返って莉央に聞いた。繋いだ手と手がピンと伸びた。


 莉央は素直に、一歩進んで、一歩下がる作戦をおばあちゃんに話した。実行に移すためには、おばあちゃんの協力が必要不可欠だったからだ。


 莉央が恐る恐る説明すると、温厚なおばあちゃんの顔が険しくなった。


「……いいから、行くよ!」


 目が大きく見開いた。おばあちゃんは少しも笑っていなかった。


 あ、もうダメなんだ。逃げられないんだと莉央は悟った。人生には、どうにもならないことがあることを今知った。


 莉央はおばあちゃんの手を離すことができない。あと、数十メートル先にある幼稚園の門を、一緒にくぐらなくてはならない。


 莉央は思った。早く大人になりたい。大人になって、幼稚園に行かなくても良いようになりたい。


 大人になったら、おばあちゃんを喜ばせる方法も自然と思いつくだろう。


 今にも泣き出しそうな莉央は、何かに縋り付かないと、一人では立っていられなかった。おばあちゃんの右手を強く握りしめた。きゃあきゃあと楽しそうな笑い声が、前方からうっすらと聞こえてきた。莉央が一歩進むたびに大きく耳の中に響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ